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言うべき答えを間違える私

「明日、島田さんを誘って学校へ来てくれないかな」
二年生の二学期が始まって間もなく、担任の石橋先生は下校前の私を呼び止めてそう言った。
「島田さん、最近よく休んでるでしょ。病気ってわけじゃないんだけど、朝起きれないらしいの」
先生は、ちょっと困った顔で事情を説明する。
島田さんは一学期の途中に転校してきた。クラスに仲のいい友達はまだいないらしく、休み時間には一人でぼんやり窓の外を眺めている。
「お家の人には、八時に行くって電話しとくからね」
石橋先生はそう言い残し、教室をあとにする。先生に頼まれては嫌と言えないが、島田さんと何を話せばいいのだろう。正直ちょっと気が重かった。
 
初めて人の家を訪ねる時はいつも緊張する。
玄関の前で「しーまーだーさんっ」と節をつけて呼んでみるが、返事はない。さっきより大きな声でもう一度呼ぶと、摺りガラスの引き戸が、がらがらと音を立てて開き、黄色い通学帽をかぶった島田さんが不機嫌そうな顔で現れた。
一年生の時はみな、この黄色い帽子で通学するが、二年になると男子は好きなチームの野球帽を、女子は帽子をかぶらない子が多い。でも島田さんは毎日この帽子で学校へ来る。
「おはよう」と声を掛けると、島田さんは不機嫌な顔のまま、下を向いてなにかぼそっと返事をする。たぶん「おはよう」だと思うが、声が小さすぎて聞き取れない。

並んで歩きながら、なにか話さなければと思い、「今日の給食のおかず何だっけ?」、「遠足のおやつ決めた?」と質問してみるが、聞き取れない小さな声で何かを短く答えるだけ。会話が全然弾まない。
気まずいなと少し焦っていると、イサムに会った。イサムは私と同じ二年生で、クラスは違うが、同じ町内なのでよく一緒に遊んでいる。

女子と歩いているのを不思議に思ったらしいイサムは、私に近寄り、彼女に聞こえないよう声をひそめて尋ねる。
「誰?」
「同じクラスの島田さん。一緒に学校へ来るように先生に頼まれたんだ」
私も小声で言い訳するように答える。
内緒話が始まったのを見て、島田さんは歩く速度を緩め、徐々に私たちと距離を取り始める。
「島田さん、こいつイサム。よく一緒に遊ぶんだ」
慌てて紹介したが、島田さんはちらっとイサムを見て、興味なさそうに下を向く。
「お前、なんでまだその帽子かぶってるの?」
イサムは大人になった今でも付き合いのある唯一の幼馴染みだが、デリカシーが無いところはこの頃から全然変わらない。
いきなりそんなことを言われ、島田さんは顔を真っ赤にして立ち止まる。今にもくるりと向きを変え、家に向かって歩き出しそうだ。まずい。
「いいだろ、どんな帽子でも」
島田さんをかばうように声を強めて言うと、イサムは口を尖らせて黙る。それから私たち三人は、お互いに微妙な距離を取りながら、無言のまま学校まで歩いた。

「おはよう島田さん。よく来たね」
教室で待っていた石橋先生が嬉しそうに声を掛ける。任務が無事完了し、私はほっと胸を撫で下ろす。
「ありがとう。明日からも島田さんのこと誘ってあげてね」
(えっ、今日だけじゃないの?)
この気まずい通学が明日からも続くことを知り、再び気が重くなった。

それから毎朝、島田さんを誘って学校へ通った。
「しーまーだーさんっ」と呼ぶと、相変わらずむすっとした顔で家から出てくる。あれ以来、あの黄色い帽子はかぶっていない。
相変わらず会話は弾まない。途中でイサムに会っても、ちぇっと舌打ちして先に行ってしまう。いつも島田さんと一緒なので、上級生に冷やかされたこともある。いいことは何もないと思う。
でもまた島田さんが学校に来なくなるかもと考えると、誘いに行かないわけにもいかず、重たい空気のまま彼女との通学は続いた。

ある日ふと、アニメの話ならどうだろうと思いつき、
「島田さんはいつも、どんなマンガを観てるの?」
と質問してみた。
「……サリーちゃん」
珍しくはっきりした声で返事が返ってくる。
(そうか、サリーちゃん、か)
会話の糸口が見つかったものの、『魔法使いサリー』をちゃんと観たことがなかった私は、放課後の三角ベースを途中で抜け、夕方五時からの再放送に間に合うように帰宅して、テレビにかじりついた。

魔法の国から来たちょっとお茶目なサリーちゃん。弟思いで姉御肌のよし子ちゃん。勉強が得意なすみれちゃん。
その日のあらすじはもちろん、主要登場人物のおおまかなキャラクターも把握し、準備は万全だった。
翌朝早速、「昨日のサリーちゃん観た?」と話しかけた。急にサリーちゃんの話を始めた私に島田さんは少し驚いたようだったが、もちろん観ていたらしく、「サリーちゃんのパパはちょっと厳しすぎる」などと、本当に同じ島田さんかと思うくらいいきいきと、昨日の放送内容についての感想を語り始める。
ようやく島田さんと共通の話題が見つかった。
毎日五時前に家に帰って『魔法使いサリー』の再放送を観なければならないのは少しつらいが、少なくとも毎朝話すことができたことが嬉しく、私は再びほっと胸を撫で下ろす。とその時だった。

「サリーちゃんと、よし子ちゃんと、すみれちゃんの中で、だれが一番好き?」
「えっ?」
不意に、考えてもみなかった質問をされ私はうろたえる。だが、島田さんが私になにかを質問するなんて初めてのことだ。ここで話が盛り上がれば、もっと色々なことを喋ってくれるかも知れない。そうなれば、毎朝の通学も楽しくなる。ここで何と答えるかは、とても大切な気がする。でもなんと答えればよいのだろう? 
サリーちゃん、と主人公を選ぶのはちょっと芸がない気がする。よしこちゃん、というのはなんだか受けを狙っていそうだ。そんなことをめまぐるしく考えたあげく、私は三人のなかで一番目立たない存在だと思われた「すみれちゃん」と答えた。

一瞬の沈黙のあと、島田さんは、ふーん、と言い、またいつものつまらなさそうな顔に戻って、下を向いて黙った。何がいけないのか全然分からないが、どうやら私の答えは期待されていたものと違ったようだ。思ってもみなかった反応に、私は再びうろたえる。
「し、島田さんは?」
「……別に。誰も好きじゃない」
彼女はそれ以上その話題を続けるつもりはないようだ。開きかけていた島田さんの心の扉が、カシャンと音を立て、また閉じてしまった。

それからしばらくすると、島田さんにはクラスで仲の良い友達ができ、学校へはその子と通うようになった。二人の姿を遠巻きに眺めながら、私は安心したような、ちょっと寂しいような気分だったが、「サリーちゃん」の正解を聞くことができないことは心残りだった。

やがて大人になり、営業マンとして働くようになった私は、初対面の相手と親しげに世間話をすることや、必要以上に沈黙を恐れないことを覚えた。だが、上司とのやりとりで、お見合いの席で、「ここで何と答えるかはとても大切だ」と察しつつも、相手の期待と違う答えをして微妙な空気を作ってしまう所は、あの頃と全然変わらない。
変わったのは、「あっ、今の違ったみたいだな」と気づいても、次の瞬間には「ま、いっか」と思うようになってしまったことだろうか。
(やっぱりよし子ちゃんだったのかな。いや、意外とサリーちゃんか……)
そんな風に、もやもやしていた頃の自分が、少しだけ懐かしい。 

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