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星田妙見宮(ほしだみょうけんぐう)

4月15日(日)。短い時間でしたが、実際に色々写真とったりメモしてきました。北極星・北斗七星信仰(妙見の意味)で、百済王の琳聖太子と聖徳太子や、空海のエピソードがあります。自然の形に沿って建物がある感じで隕石が落ちた伝説が面白いですね。

ご自身の守護星(本命星ほんみょうしょう元辰星がんじんしょう)を確認して礼拝します。下の写真がそのマップと生まれ年の一覧です。

これは元祖キネシオロジーかもしれません(笑)
それなら未来のことには使えないかもしれませんが、
note記事が読者の方に役に立ちますようにと願いました(→軽く感じましたw)

御神体は奥におわします。

個人的に一番お気に入りだったのが、「登竜の滝」で隕石が落ちたとされる場所です。木内鶴彦さんのコメント付き。スイフト・タットル彗星が落ちた可能性が高いとのことです。また、写真ではわかりにくいですが虫の羽音がすごかったです。

登竜の滝
木内鶴彦さんのコメントつき

その他のいろいろな案内板の情報をメモしてみましたのでご参考になったら幸いです。あとは現地で空気感をぜひ体験してみてください(^^)

星田妙見宮の案内板

当霊山は平安時代の弘仁年間(810~824)に弘法大師空海上人が私市の獅子窟寺の岩屋で仏眼仏母尊の修法をされたときに当霊山に七曜の星が降臨し大師自ら「三光清岩正身の妙見」と称され北辰城見大悲菩薩独秀の霊岳、神仏の宝宅諸天善神影向来会の名山、星の霊場としてまつられました。又、当宮を一点として、当村内の光林寺と星の森の三点に一辺を八丁として降臨するを以て「八丁見所」と云われ、当村を三宅庄星田村と称されました。当御祭神は神道にては天之御中主大神、仏数にては北辰妙見大菩薩、陰陽道にては太上神仙鎮宅霊符神と申されます。
星祭り 2月8日・七夕祭 7月7日・星降り祭 7月23日

交野が原 七夕伝説

むかし、交野が原に七つの星が天女になって降りてきて、天の川で水浴びをしていました。それを見た少年は、あまりにも美しい一人の天女の羽衣を隠してしまいます。天に帰れなくなった天女は、その少年との間に一人の子どもをもうけ、せっせと機織りをして育てました。
それから三年がすぎたある日、天女は天に帰りました。
少年もまた年老いて天に昇り、今でも年に一度、七月七日に天の川をはさんで会うといいます。
成人した天女の子どもこそが、肩野物部かたのもののべの祖、櫛玉饒速日命くしたまにぎはやひのみことだったのかもしれません。

天の川の羽衣伝説は、平安時代の書『曽丹集』にも書かれております。また「七曜星降臨伝説」のある当妙見宮の大岩は、古来より「織女石」と呼ばれ、天の川をはさんだ対岸の等距離のところには、天で牽牛が田を耕す「天田の宮」があります。

七曜星 降星伝説

むかし、空海というりっぱなお坊さんが、お祈りをなされますと、天より七つの星がこの星田の里の三ヶ所に降ってきました。お坊さまはその時、星の落ちたこの妙見山の大岩で、妙見さまという仏さまに会われ、この仏さまを大切におまつりしました。いまから千二百年も前のことです。

弘法大師空海上人が獅子の窟( 獅子窟寺の岩穴)で仏眼仏母尊の秘法を修された折、星が降臨したという三ケ所は、星田妙見宮・降星山光林寺・星の森とされ、正三角形に位置し、一辺が八丁あったところからハ丁三所と称し、七曜星降臨伝説は、獅子窟寺にもまた当宮縁起にも見られます。
降臨の七月二十三日を当宮では、「星降り祭」として今日までお祭りしてまいりました。


妙見信仰の伝来

わが国の推古三年に、百済国の聖明王の第三子琳聖太子りんしょうたいしは夢の中で、「東海の国(日本)に観世音菩薩の化身たる皇子、聖徳太子あり。王法を改め国家を治めんとする。吾が即ち北辰なり。」というお告げを受ける。
琳聖太子はこのお告げにより、わが国に渡らんとする。
同年わが国に大星降臨し、その坐のものに、「吾北辰なり、今より三年後に、百済国の聖明王の第三子が来たれる」とのお告げがなされる。
推古五年琳聖太子はわが国に渡られ、この時、北斗七星剣とともに、憲法十七条制定の過程の基となる妙見信仰の和の心と、太上神仙鎮宅七十二霊符を伝来されたという。
琳聖太子は聖徳太子とお会いするために、秦河勝の案内のもと、難波にのぼられ、難波の生玉の宮にお入りになり、そこを居宅とし、推古五年四月聖徳太子と会見され、聖徳太子がなされようとする日本の政治・宗教の基礎固めのお仕事に助言をなされる。
来朝の挨拶をなされた後、わが国で始めての北辰星供ほくしんせいくを盛大になされる。その後延暦四年(七八五)に桓武天皇は、都の南部、当地、交野が原に郊祀壇こうしだんを設け、北辰祭祀によるわが国で初めての天神の祀りをされる。
聖徳太子が制定十七条の憲法には、琳聖太子によって伝来された妙見信仰の心、調和の心が生かされている。
妙見信仰の教えは、まさに森羅万象の調和の心であった。

星田の降臨伝説

弘仁の頃(810~824)、空海(弘法大師)が京都から私市きさいち村観音寺に来られ、滞留されました。その折、虚空蔵菩薩求聞持こくうぞうぼさつぐもんじの法を修行されて、成就されたその夜の暁、仏眼仏母尊ぶつげんぶつもそんの大光明が放たれました。
すると天より七曜星が降臨され、擁護して下さいました。その七曜星降臨の地が妙見山、光林寺、星の森であります。この三ヶ所は一辺が八丁(880m)の正三角形の形を成している事から、俗に八丁三所はっちょうみどころ、星の聖地と言われるようになりました。
その出現の尊を尋ねられると、獅子ししくつさん吉祥院きっしょういんの獅子の岩窟の仏眼尊だと分かりました。
空海がこの岩窟に入り、仏眼尊の秘宝を正しくとなえられました。




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