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そっちじゃなくて、こっちもあるよ/滝沢達史「桃源郷」とアーツ前橋での活動について

群馬県前橋市の駅からはちょっと離れた中心市街地で、第2回開催となるグループアート展「River to River」が開催されている(11/13までの金土日祝の開催)。今回はその名の通り、広瀬川と馬場川の周辺の複数の会場で展示が行われており、旧安田銀行担保倉庫2階の滝沢達史さんのインスタレーション「桃源郷」がとても良かったので、ここに書き残す。

その話の前に別の話をする。僕は、高校時(工業高専)に前橋の寮に住んでいた。ずいぶん年月が経った今でも忘れられないこととして、はじめて勤めたバイト先が「最悪」であった。勉強に専念するからそこを辞めると言う同級生の紹介で入ったレストランで、厨房は常に殺伐とした雰囲気。仕事が遅ければものを投げつける店長で、ベテランスタッフは面倒なことに関与しないよう決められた仕事をこなすだけ。仕事や、仕事上での人に対しての耐性も0に近かった18歳の僕は早々に辞職を申し出たが「辞めたければ他を紹介しない限り辞めさせない」と店長。そういうことかと紹介された同級生を恨みつつ、この環境に誰かを入れる気も起きなかったので結果、関係ない新人が入ってくるまでの半年くらいは働いたように思う。おかげさまで、仕事という行為に対する恐れはその後何年も続いた。

そんな、今日がバイトというだけで朝から気が滅入る状態だったころ。橋の上から見える大きなマンションらしき建物がなんとなく気になっていた。その場所を通るのは大抵夜で、建物自体は新しいが、人の営みは見えない、基本暗闇に包まれた建物だった(マンションではなく倉庫ビルだったのかもしれない)。偶然、その1室に灯りがともっているのを見てふと「あそこには、1人寂しく窓から外を見つめている女の子がいる」と、そんな妄想をした。今考えても馬鹿らしい。けれど1度そんな妄想をすると、その場所を通るたびにそれを思い出し、それは僕になんとなく「安心」を与えてくれた。ストレスしかないバイト先に向かう暗がりではなおさら、その建物の灯りと妄想が、替えの効かないものとなっていた。精神的に追い詰められていたのだと思う。

旧安田銀行担保倉庫は、煉瓦造の非常に重厚感をもった建物だ。滝沢さんの作品「桃源郷」は、まず急な木製階段を(ほんとうに急なので、山登りの際に急斜面設置されているようなロープが階段を上がる補助で付いている)登っていく。その途中途中には、印象的な言葉や、山の中にある街灯は桃などの果物に虫が寄らないために設置されているものもある的な、導入文章が提示されている。そして、上るにしたがって、その先は暗くなっていく。

「桃源郷」という言葉や話を聞いたことのある人は多いと思う。倉庫2階の暗闇の中は、所々が黄色い棒状の灯りで照らされ、甘くのノスタルジーなクラシックソングが流れている。そこは桃源郷のイメージ、果物がたわわに実り、風光明媚な景色が広がる世界とは真逆のようであるが、暗闇がむしろ優しく、僕らが暮らす場所ではない異質な世界であることは明らかだ。特筆すべきこととして、会場には「桃源郷」という言葉の出処にもなった中国の古典『桃花源記』が提示されており、暗い空間で設置されたチェアに深く腰掛け、その物語をゆっくり自分の体に通すという行為は、僕にとってとても貴重な体験だった。そしてふと、二十数年前のあの闇に包まれたマンションの一室に対して抱いていた妄想を思い出したのだ。そして、理由はわからないが、少し泣きそうになった。

滝沢達史さんは、今回の会場がある前橋市の「アーツ前橋」という美術館の「表現の森」というプロジェクトで、同市にある「アリスの広場」(ひきもこり経験者・当事者たちのフリースペース)と協働し作品制作や催しを行ってきた人でもある。僕も、滝沢さんがアリスの広場のメンバーと一緒に、貸切ができる中之条町沢渡の温泉宿に泊まる催しの際にご一緒したりした。ひきこもり経験者にとって、他人と宿で一泊するというのはハードルが高いものと思う。けれど、若者の目線に合わせて話ができる大人がいることにより、若者たちはマイペースに関わったり関わらなかったりして、とても和やかで良い催しとなった。また、「ゆったりアーツ」と名付けられた「滝沢さんが引率し、閉館している美術館にアリスの広場のメンバーで行って、作品を鑑賞する」という催しもとても良かった。

滝沢さんは今回の「River to River」での作品からもわかるようにDIYも得意な行動力のある作家だが、その視線は一般的には弱者と呼ばれる優しい人たちに向けられている。そして彼は「息がつまるようなそっちじゃなくて、こっちもあるよ」と声をかけ続けている人であるように思う。そのこっちとはアートでなくても山登りでも釣りでも良いし、大げさに言えば実際にはない場所、桃源郷(あるいは現実逃避)でも良いのだと思う。なぜなら、自分の行動や思考の範囲にない場所での経験こそが、その場所から戻った後の自分に新しい意欲を与えることは明らかだからだ。

煉瓦倉庫の2階へ上がり、あなたが思い出すことは何だろうか。桃源郷が無くなる前に・・というか、会期が終わる前にぜひとも体験していただきたい。

River to River

滝沢達史

表現の森

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