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富士山・・親しみの距離とサイズ/これは富士山である:登拝篇・遥拝篇

日本画家を中心とし結成され、絵を描くことに縛られず美術に関するアクションを行っているパラレルモダンワークショップ(以下P.M.W.)。2021年には上野公園にて参加作家が各々にアクションを起こす(絵を描く作家もいれば、歌を詠む日本画家(!)や野球をするグループ(!)もいた)「たえて日本画のなかりせば:上野恩賜公園篇」を開催。主要メンバーである小金沢智さん(東北芸術工科大学専任講師)に声掛けいただき、僕はその様子を映画作家の仲間たち(國友勇吾さん、笹谷遼平さん、島田隆一くん)とチームを組み撮影した。

その後、東京都美術館での都美セレクション・グループ展を経ての、P.M.W.の次なる目的は「富士山」だった。言わずと知れた日本一の山であり、過去には葛飾北斎や横山大観など名だたる画家が描いてきた日本の象徴のあの富士山である。P.M.W.の面白いところは、「皆で富士山を描こう!」という写生旅行ではなく、「実際登っても良いし(登拝)、登らなくても良い(遥拝)。各参加者が各人なりの富士山との距離をはかり、その成果物として同一フォーマットの<絵葉書>を制作する」というルールを定めたことだ(もっと複雑なコンセプトなのだが、それはサイトにて読んでいただきたい)。

僕も今までの流れから富士山に登って彼らを撮影・・するはずだった。一度、富士山山頂まで登った経験はあれどそれは20代。登る、なおかつ撮影するという行為がやれるのか自分・・という不安もある中でmont-bellなんかにも行っちゃって靴やレインコートなどを新調し(形から入るタイプ)いよいよ・・というところで流行り風邪をひいた。匂いがしない。結果、直前になって登拝する作家の皆さんに「やれる範囲で写真や動画を撮影してきてください、僕は登れませんがそれらをまとめて編集しますので!」という通達をすることとなった。撮影者としてはダメダメな展開だが、結果として「作家たち自らが撮影した写真、動画(に加えて柱としたのは下山後に行った振り返りのリモート映像)だけで映像を組んだこと」は、僕が下手に撮影するよりも良いものになった気がしている。

「これは富士山である:登拝篇・遥拝篇」記録映像完全版
https://youtu.be/U8iHGnGjjKI?si=h2o7iSUqlAmhBp13

上記映像を見ていただくと、イメージとして使われ続け新しさを失ったかのように思われる「富士山」というモチーフに対し、各作家がいかに向き合ったかを感じていただけると思う。今まで登ることはなく富士山を描いてきた三瀬夏之介さんは今回の登山の目的を「概念剥し」としたり、中村ケンゴさんは登山前は意識しなかったひたすらに続く斜面(標高が高いので木々が育たず砂と岩が続く)の印象が強かったと語る。登山は行わずに、山梨と静岡をまたぐ富士山の周辺にある関連施設を回った写真家の西澤諭志さんのレポートはドキュメントであり、その中でサティアンという名前も久しぶりに聞いたし、それが建っていた上九一色村がすでにその名を失っていたということも僕ははじめて知った。

僕はすでにその成果物である絵葉書セットも手にしており、時たまパラパラと見ては、にやにやしている。とても良い(このポストカードは100セット限定で作られており、今ならP.M.W.サイトや参加作家から購入もできる)。各々が自分の表現を突き詰めてきた人たちばかりなので、同じ「富士山」をテーマにしても、似たものは1つとしてない。大変な思いをして登り、下山後に「富士山に対して親しみのようなものが沸いた」と語った写真家の吉江淳さんは、自身が撮った富士山の写真を現像し、その写真をさらに写真に撮ったものを絵葉書とした(それが彼にとっての距離感なのだろう)。いつも驚く表現で作品を作っている山本雄教さんは、登って内出血した指を富士山に見立てた写真を絵葉書としている(彼は日本画の作家である)。・・なんて自由なんだ。

富士山を歩くことはなかった登山靴を履いて先日、自分のうちのすぐそばの一番登り慣れた嵩山(たけやま)を登った。小学生でも登れる山だが、それなりに太ももがつらい(富士山に行っていたらどうなったの・・)。登山中、僕が感じたものも「親密感」だった。もちろん、まだ行っていない道もあるし、足でも踏み外せば、こんな低山でも自然のつらさに泣かされるのだろうが、子どもの頃から登っている山であり、登っていて何かに包まれている感すらある。人が山に対して抱く思いを語れるほど僕は山を知らないが、ただの自然物ではなく、自分を投影するものとして山は適しているのかもしれない。

P.M.W.の今回の成果物が、富士山の大きさを投影するような大きなサイズの画ではなく、手に収まる程度の大きさの絵葉書であったことは、「(富士山というベタなイメージを)あえて複製をする」という目的から選ばれたものだったように思う。けれど個人的な感想として、22作家、22通りの小さめな富士山は、今回登っていない僕にも富士山に対し何か親しみのようなものを感じさせてくれる(小さいというだけではなく、作家が感じた距離感が僕にも伝わるからかもしれない)。それは、日本の象徴というものからはズレた、今時代の新しい価値観であった。

パラレルモダンワークショップ「これは富士山である:登拝篇・遥拝篇」サイト
https://p-m-w.weebly.com/03_Fujisan.html


P.M.W.サイトより

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