隣の芝を羨んでも
もっと愛されたいなと思う。
私の考えるそれは、毎日言葉や態度があるというもの。毎日毎分毎秒、『愛されている』と自信を持てるくらいに言葉や態度が欲しい。
そう思ってた。
だけど夫くんは、それとは反対側に理想を持っているらしいく叶えるには難しい。『言葉がなくても(お互いが好きだと)信頼し合えてるいる関係のほうが俺はいい』と言いきられてしまった。今さっきのことだ。
その言葉のおかげでか、少しだけ我に帰って、少しだけ冷静になることができた。
いつからこうなったのか思い出せないけれど、最近の私は、自分でも止められない、足りない足りない足りない病だった。彼からの「好き」と言う言葉、彼からの「好き」という態度、もっともっと欲しかった。
こんなふうに書いていると、愛されていないのかと思われるかもしれないけれど、決してそういうわけじゃない。というか、きっと彼は私のことが好きだろうなと思う。周りが見てもそうだと思うし、そっと離れて、俯瞰してみれば、ちゃんと分かる。とても想われて、とても大事にしてもらっている。こんな馬鹿みたいに恥ずかしげもなく堂々と書いてしまえるくらいには。充分に。
ただ私にとって"足りなかった"だけで。
きっとSNSに影響があると思う。愛されすぎ女性が世の中に溢れすぎている。彼に想われすぎ彼女たちが溢れすぎてる。可愛い女性が溢れすぎている。
勝手に比べて足りない気分になる。
馬鹿な話だ。SNSなんて、ほんの一部で、それが本当かもわからないのに。
私とそれは違うのに。
よくよく考えれば馬鹿みたいな話だ。
言葉に並べてみてようやく分かった。
しっかりしろ、私。
隣の芝を羨ましく思ったっていいことなんてほとんどないのだから。
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