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お洒落インスタ料理女子を志して思うこと

Instagramでお洒落料理アップしてる女子ってマジでお洒落ですよね。

センスとしか言い様がないけど、なんであんな品数を、あんなに美味しそうに、お洒落に、作れるんだろうか。

私もあんなの作れる様になったらインスタにアップしてみようーー♡と憧れつつ、自分しか食べないんじゃ練習するモチベーション湧かない。そこまで上手くなるの待ってたら永遠にアップ出来ない。

「逆に先にアップしてしまった方が上手くなるんじゃないだろうか」ということで、#お洒落インスタ料理女子への道 というハッシュタグを勝手に作成、勝手に自身の成長を追う自主ドキュメンタリーを開始してみた。


▼記念すべき第1回

元々そこまで料理は下手では無い。

しかし差して上手くも無い。

そういえば中二までハンドベル部と料理部を兼部してたけど、料理部の方はほぼ漫画描いてただけで終わった。

たまーーに誰かに料理作ったりすると「菜子が作るならもっととんでもないものが出てくると思ってたのに……意外と普通でショック……」とすら言われた。一体みんな私に何を期待しているのか。

要は、中途半端なんですよね。

なんならもういっそ「え、菜子って料理上手いの……?!」みたいなキャラ目指した方がいいんじゃないか。


▼第2回。品数を増やしたもののやっぱり何か足りないお洒落感……

薄々感じてはいたもののやっぱ器がイマイチだ、お洒落器の調達が必須だと、1人家から片道2時間かけて秋の丹波焼まつりへ。大量に和食器を購入。


▼最高の祭だった。超楽しかった。この日に戻りたい。

道中作業するのにPC持って行って大量に器買ってさらに乗せられて日本酒まで買って肩外れそうになったし翌日筋肉痛に襲われた。

あと、友達に勧められ料理女子の最高峰・木村文乃(#ふみ飯)をフォローしたことで、「お洒落女子は木テーブル」というポイントに気付く。


▼最高の和食器を木テーブルに迎えて臨んだ第4回。ちょっと近付いて来た手応えがある……!

この木テーブルは本来食卓ではないので、

毎回撮影してから移動させるという地味な作業が発生する。


▼「え、白菜丸ごと……?!」とややざわついた第7回


▼第9回。和食はほっとする……


▼そして記念すべき第10回、自主クリスマス


書籍化を狙うには遥か遥か程遠いけど(※狙ってない)

第1回から比べるとそれなりにそれっぽくなって来たなーーと。

やっぱ、物事の上達には下手な段階から「人目に晒す」が必須だなあと改めて……

自分でももっとちゃんとしなきゃって思うし、他のお洒落料理も意識して観察する様になるので、ちょっとずつポイントも掴めてくる。


そして、何人かのお洒落料理女子をフォローしてて気付いたんですけど


共通点として、彼女ら、

漏れなく全員旦那が居るんですよね。


「1人でやってます」って人、誰も居ない。


ベンチマークにしてた木村文乃も第8回あたりで駆け抜ける電撃結婚報道、というか私木村文乃と同じ10月19日生まれのAB型なんだけど星占いは一緒の筈の文乃と私は一体どこで道が分かれたんだろうか

報道後「(一緒に食べる時間も合わないし)ふみ飯は紛れもなくどちらか1人分なんです」って本人のコメントあったけど、「いや一緒に食べてないだけで食べる相手は居るし結局2人分じゃん!!!!」って全力で突っ込んだけれど

とにかく、1人というのはモチベーション的にも品数的にも(材料余るから多品種作りにくい)圧倒的にディスアドバンテージなのだけれど


自分の為に手間暇かけて料理を作るって

究極的に自己愛の行為だよなあ……と。


平日にダシから取って煮物作って、翌日仕事からヘトヘトに疲れて帰って来たら、昨日よりももっと優しくなった味の煮物が待っててくれた時、救われた気持ちになって

家で誰かが出迎えてくれた様な気がしたというか、変な話、結婚したくなった。私と。

落ち込んだり疲れたりすると、自分の頭を撫でてあげたり自分を抱き締めてあげたくなるけど、しかし自分は分裂出来ないので、自分の中に小さな自分を想像して「まあまあ……それなりによくやってるから……」ってその子を宥めるのだけど


自分に愛情込めて料理を作るというのは、それを具現化する行為に近い。


一方で、振り返って思うのは、思えば私って好きな異性にきちんと料理作ったことってないよなーー……と。一緒に鍋物くらいならあるけど。

手作りを押し付けることが必ずしも良いことだとは思わなくて、私が作るよりも京都なら外に食べに行った方が美味しいものたくさんあるし……とか、手際悪いところ見られたくないな……とか、緊張してもし失敗したらそれを無理に気を遣わせて食べて貰うのは申し訳ないな……とか、色々色々考え過ぎてしまう。

だけど、美味しくないかもしれないもの迷惑かもしれないもの、ある部分でそういう自分勝手なものを、無邪気にぶつけられないというのは、愛情を他人にぶつけられてないことの象徴でもある様な気がして。

どうしても料理が苦手な人も居るだろうし、料理を作ることだけが愛情ではない。だけど、愛情の1つの形だとは思っていて。

自分の為には料理が作れるのに、他人の為には躊躇するというのはまだまだ自己愛の方が強いというか。そういうところが私が1人で居る所以なんだろうなあ……という気もしてしまうのです。


兎にも角にも。

単純に何か物を作っているのは好きだし落ち着くし、

自分自身の心も体も大切にする為にも、

まだ、ここにない、ダンナの為にも(果たして居るのか)

これからも料理は修行積んで行こうと思うし


これから先、私の料理の品数が急に増え出したら「ああ、そういうことなのね」と暖かい目で見守って欲しいし

逆に一切増えなかったら「ああ、そういうことなのね」とそれはそれで暖かい目で見守って欲しい。


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おかださいこ

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