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鑑賞*白球を隠しとほして草いきれ

                  佐野 聰

 中学校の周りは葦が生い茂る草原だった。野球部の練習は校庭だったが、バックネットは小さくて、また三塁側には防球ネットなどもなく、打撃練習でファウルボールはいとも容易く校庭の外へ出てしまうのだった。練習用の球は、練習の後に数を数えて、数が足りなければ「ボール狩り」といって校庭の外の葦原に探しに行くのだった。ボール狩りは主に一年生の役割で、練習時間のほとんどがその時間になることもあった。先輩の打球が校庭の外に出れば、その行方を目で追って、落下地点を想定して一年生が走って探しに行く。夏にでもなれば葦が背丈近くに育って、容易に球は見つからない。葦原の中は風もなく聞こえるのは葦の葉摺れの音ばかり。汗の噴き出す手や腕や顔には、葦の葉で切った擦り傷をたくさん作った。灼熱の太陽の下で球が見つかるまでむんむんとした葦原の中にいるのは辛かったが、練習に戻って、今思えば非科学的だった筋力トレーニングをやるよりはまだましか、とも思っていた。
 句の「白球」には、新しい球、今飛び込んだばかりの球を想像する。「隠し」ているのだから、探している人がいる。草のいきれの臭いには、今でも中学校時代を思い出す。(岡田 耕)

(俳句雑誌『風友』平成二十六年六月号)

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