岡田耕

(おかだ こう) 俳人。 平成八年『扉』主宰:土生重次に師事。平成十八年『風友』(主宰…

岡田耕

(おかだ こう) 俳人。 平成八年『扉』主宰:土生重次に師事。平成十八年『風友』(主宰:佐野聰、磯村光生)入会、同人。

マガジン

  • 雑感

    俳句などに関するよしなしごとを書いた記事をしまってあります。note書き下ろし。不定期投稿です。

  • 句碑

    旅先で出会った句碑の句の鑑賞やエッセイを添えたものを「句碑*・・・」でご紹介します。

  • 選評・共鳴

    自身の句に関する記事です。選評とは、結社誌で主宰から選をいただいた講評のこと。共鳴とは、結社誌や他の句会、noteなどで自身の句を鑑賞や講評をしていただいたものです。

  • 掲載・受賞

    歳時記、俳句一般誌、他の結社誌などで取り上げられた句、応募作品で受賞した句に関するもの。

  • 歳時記を旅する

    土生重次とその師系の主宰の句を足掛かりに、季語の現場を時空を超えて訪ねる旅のエッセイ。〔毎月投稿〕

最近の記事

人の命は「石鹸玉」

【スキ御礼】鑑賞*しばらくは人の高さを石鹸玉 十六世紀の西欧の絵画では、シャボン玉が人の命の儚さの象徴として描かれています。 これは、古代ローマの諺「人間は泡沫である」homo bulla、「人間の命ほど壊れやすく、束の間で、空虚なものはない」という人生観に基づいたものだとされています。 それを表す実際の絵画をご紹介できないままでしたが、Nao Masunaga さんが、イタリア ペルージャのウンブリア国立絵画館で催されたシャボン玉をテーマにした特別展のレポートの中で紹介さ

    • 歳時記を旅する49〔麗か〕後*うららかやことりと離す吹き硝子 

      磯村 光生 (平成九年作、『花扇』)  硝子吹きの仕事は江戸時代、宝永年間(1704~)には始まっていたと言われ、硝子師と呼ばれた。 文化年間の清閑主人『鴨村瑣記抄』には、「江戸にて硝子を吹き始めたるは、長島屋源之丞といへる者、初めて江戸に至り、吹出したる由、其子孫今に浅草に住して、長島屋半兵衛といふ由。…」と記されている。  硝子吹きで難しいのは、硝子の種を窯から管につけて出す、玉とりといわれるところだそうで、昔から玉取り三年、素地(形づくり)八年と言われているそうだ。  

      • 句碑*観音の慈顔尊し春の雨

        大野万木 鎌倉 長谷寺の経堂の脇に句碑があります。 鎌倉長谷寺のご本尊は、十一面観音菩薩像。高さ三尺三寸、寄木造りで全身に金箔が塗られています。 大和長谷寺に次ぐ国内最大級の高さだといいます。 観音の名を称えれば、七難、三毒を逃れ、観音を念ずれば子宝に恵まれるという現世利益があるといいます。 また、観音は衆生の救いを求める声を聞きつけると、救うべき相手に応じて33種類の姿に変化してこの世界に現れ、苦難から救い出してくれるのだそうです。 すなわち、観音菩薩は今生きているこの

        • 【新マガジン】「句碑」を作りました。旅先で出会った句碑の句について鑑賞やエッセイです。記事は4月24日(水)に投稿予定です。始めは、鎌倉長谷寺の句碑からです。

        人の命は「石鹸玉」

        • 歳時記を旅する49〔麗か〕後*うららかやことりと離す吹き硝子 

        • 句碑*観音の慈顔尊し春の雨

        • 【新マガジン】「句碑」を作りました。旅先で出会った句碑の句について鑑賞やエッセイです。記事は4月24日(水)に投稿予定です。始めは、鎌倉長谷寺の句碑からです。

        マガジン

        • 雑感
          100本
        • 句碑
          1本
        • 選評・共鳴
          38本
        • 掲載・受賞
          7本
        • 歳時記を旅する
          162本
        • 一句鑑賞
          173本

        記事

          選評*競漕のガッツポーズのまま流る

          【スキ御礼】共鳴*競漕のガッツポーズのまま流る|岡田耕 ☆4月21日(日)は早慶レガッタの日です(2024年)。慶応大学端艇部さんからの直前レポートです。 写真/岡田 耕( 第92回早慶レガッタ 女子対校舵手付きフォア 1着 早稲田大学)2023年4月

          選評*競漕のガッツポーズのまま流る

          頼山陽が見た「花の雨」(2)

          【スキ御礼】 歳時記を旅する13〔桜〕後*上千本中の千本花の雨 西行が見た「花の雨」 秀吉が見た「花の雨」 芭蕉が見た「花の雨」 本居宣長が見た「花の雨」 頼山陽が見た「花の雨」(1) 前回母を連れて吉野を訪れて花に出逢えなかった頼山陽は、その8年後の文政十年(1827年)三月十八日、再び母を連れて吉野を訪れる。 今回は花に遅れてはならじと雨をついて出発し、二十日に吉野に着くと雨はようやく上がり、翌二十一日は晴れて満開の桜に会うことがことができた。 前回の八年前より十五

          頼山陽が見た「花の雨」(2)

          掲載*沢百本縒りて太しや雪解川

          岡田 耕 掲載誌:『俳句年鑑』2023年版 KADOKAWA (岡田 耕) 【スキ御礼】掲載*初句会窮して針の筵かな

          掲載*沢百本縒りて太しや雪解川

          歳時記を旅する49〔麗か〕中*うららけし窓で商ふ周旋屋 

          佐野  聰 (平成七年作、『春日』)  不動産仲介業者は江戸時代から存在した。土地取引には、口入業者がいて、仲間組織を通じて物件情報を流通させており、物件の形状、収益、代金を記した売主の書類を備えていたという。さながら不動産仲介業者の店頭のようである。 戦後、不動産仲介で暴利を貪る業者もいたようで、当時の新聞でも、「地方からはじめて出て来る人は、業者の選択が一番大切である。従って、その駅に降りて、まっすぐ、周旋屋にとび込まないで、付近の商人からどこの周旋屋が信用できるか聞いて

          歳時記を旅する49〔麗か〕中*うららけし窓で商ふ周旋屋 

          鑑賞*連れ立つて巣箱見にくる四十雀

          佐野 聰 四十雀の夫婦の新居探し。 間取りは?日当たりは?セキュリティは?周辺施設は?内見してみる? 巣箱への入居は春だが、新居探しは冬から始めているらしい。 人間界もまた、入学、就職の春に向けて賃貸物件が動き出す。 (岡田 耕) (俳句雑誌『風友』令和五年十月号「私の好きな一句」)

          鑑賞*連れ立つて巣箱見にくる四十雀

          鑑賞*ひとひらを波の届ける桜貝(拡大版)

          佐野 聰 鎌倉の由比ガ浜海岸は、桜貝が拾える場所の一つ。 由比ガ浜の桜貝は、江戸時代の浮世絵に描かれるほど観光地としても有名だったらしい。多い時には砂浜一面が薄桃色に染まるほどだったともいう。 桜貝が拾えるかどうかは、潮の干満、季節や天候によって異なってくる。 四月の上旬のとある日の早朝に、江ノ電に乗って由比ガ浜海岸に出かけてみた。遠浅の砂浜の広がる海岸である。そこにいるのは、波乗りの人、犬の散歩をさせる人、網を繕う漁師ぐらい。小さな白い貝の散らばる中に桜色の貝を探す。海岸

          鑑賞*ひとひらを波の届ける桜貝(拡大版)

          鑑賞*春日傘閉づるが如く節子逝く

          岡田 風呂釜 作者は平成二十六年没。 掲句は、平成七年俳人協会全国俳句大会入賞句。 俳人野沢節子は俳句誌「蘭」の主宰。 俳風は「強い表現の中にも女性らしい嫋やかさがある」。 それは闘病のため外界と触れ合う機会が限られていたからという。 生涯、心に日傘を差し続けてきたのかも。 四月九日が忌日。 (岡田 耕) ☆野沢節子は土生重次の師でもあります。また、句の作者岡田風呂釜は私の親族でもあります。父の遺品を整理していたら句のメモが出てきました。受賞を親戚に知らせていたようで

          鑑賞*春日傘閉づるが如く節子逝く

          鑑賞*「花ふぶき」菓銘に父の三回忌

          黒川 六文子 大正七年生まれ。五百年の伝統のある菓子屋「虎屋」十六代店主黒川光朝。六文子は俳号。句集に『花くらべ』『梅の枝』。句は昭和52年作。 父は黒川武雄で十五代店主。 参議院議員を経て厚生大臣も務めた実業家であり政治家。 経歴は華やかだが家業で震災に遭い、その後戦災、戦後と家業を続けてきた姿を作者は見て育っている。 花吹雪は父の生き様への喝采。 (岡田 耕) 【スキ御礼】聞く和菓子

          鑑賞*「花ふぶき」菓銘に父の三回忌

          頼山陽が見た「花の雨」(1)

          【スキ御礼】 歳時記を旅する13〔桜〕後*上千本中の千本花の雨 西行が見た「花の雨」 秀吉が見た「花の雨」 芭蕉が見た「花の雨」 本居宣長が見た「花の雨」 江戸時代後期の歴史家で文人でもある頼山陽は、母を連れて吉野山を訪ねている。 文政二年(1819年)三月二十八日、母と京都の桜を見物していた山陽は、急に思い立って京都を発った。四月四日に雨をついて吉野山に上った。山陽四十歳のときである。 この日は山上の旅館「さこや」に泊った。 しかし、翌日も雨で、しかも新暦の五月なので花

          頼山陽が見た「花の雨」(1)

          歳時記を旅する49〔麗か〕前*うららけし渡しの杭の舫ひ疵

          土生 重次 (平成七年作、『刻』) 江戸時代から続く江戸川の「矢切の渡し」は、伊藤佐千夫の『野菊の墓』(明治三十九年)で十五歳の少年・斎藤政夫と二歳年上の従姉・民子の最後の別れの場面となった。  「船で河から市川へ出るつもりだから、十七日の朝、小雨の降るのに、一切の持ち物をカバン一つにつめ込み民子とお増に送られて矢切の渡しへ降りた。…」  左千夫は柴又の帝釈天を何度か訪れて、江戸川を舟で渡ったことがある。矢切あたりの景色を大層気に入って、こんなところを舞台に小説を書いたら面白

          歳時記を旅する49〔麗か〕前*うららけし渡しの杭の舫ひ疵

          藤原定家が羨む「猫の恋」

          【スキ御礼】芭蕉が絶賛した「猫の恋」 芭蕉が絶賛した越智越人の句 うらやましおもひ切時猫の恋 この句は、藤原定家の歌を下敷きにしているとされている。 その本歌となる定家の歌は、文献によって異なっている。 羨まし忍びもやらでのら猫の妻ひ叫ぶ春の夕暮  (類船集) その意は、 「のら猫はけものの本能に従って欲情のままに妻を恋い叫んでいる。うらやましいことだよ。」(吉田美和子『うらやまし猫の恋』) もう一つの本歌は、 うらやまず臥す猪の床はやすくとも嘆くもかたみ寝ぬも契

          藤原定家が羨む「猫の恋」

          鑑賞*しばらくは人の高さを石鹸玉

          隣安  2024年3月20日発行「句具ネプリVol.14春分」所収。 古代ローマの諺 homo bulla「人間は泡沫である」。 人間の命ほど壊れやすく、束の間で、空虚なものはないという。 それを寓意として西欧の絵画にしばし石鹸玉が描かれる。 人のそばで何かを伝えたいのかも。 (岡田 耕)

          鑑賞*しばらくは人の高さを石鹸玉