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佐藤さんからの電話

知り合いの佐藤雅彦さんから電話がかかってきた。「英語で新年の決意を書いたのだけど、聞いてくれますか?」という。

電話口で2分半ほどの英文を佐藤さんは読み上げてくれた。「佐藤さんは英語、これまでやってこられたんですか?」と尋ねると「いえ。全然。でもやってみようと思って」という。

佐藤さんからはFacebookでときどきメッセージが来たり、電話がかかってきたりする。私が「もう少し歩かなきゃ」と思うのは、佐藤さんが「今日は○○歩、歩きました」というメッセージを送ってくれるからだし、「あまり歩けていません」とメッセージを返すと、「健康のためにもっと歩きましょう」と返事をくれる。"旧約聖書" "新約聖書"の読書会に参加したのも佐藤さんが「2度通読しました」と話していたからということもある。

英語のことに話を戻すと、英語で何かを書いてみようと思う人は多くいても、「英語で書いたので聞いてくれますか?」という人はなかなかいない。佐藤さんのすごいところはそういうところだ。普通は、気恥ずかしくなったり、笑われたらどうしようと思ってしまう。それが普通だし、人はそういうものだとも思う。でも、佐藤さんはちょっとだけそのハードルを越える。

佐藤さんは自分で考えている人だと思う。イギリスから美術館や演劇に携わっている人を呼んだブリティッシュ・カウンシルのシンポジウムにもご一緒したが、当時、残念なことに日本の美術館関係者の反応はかなり薄かったように私は感じた。しかし、佐藤さんはシンポジウムが終わった後、「岡田さん、ちょっといい? 少し話がしたいんだ」と1時間近く喫茶店で話をしてくれた。「”絵や演劇を観たいという気持ちはあたりまえの権利”というところにすごく共感した」のだという。

https://www.britishcouncil.jp/sites/default/files/aaas_pdfa4.pdf

シンポジウムよりも前から佐藤さんは、「演劇とかを観たいけどさ、興味のない人に付き添ってもらってもなんだかダメなんだよね」とよく言っていたから、佐藤さんは自分の"権利"を守ることに、そしてそのために何をしたらよいかをずっと考えているのだろうと思う。佐藤さんが「声をあげる人」であるのは、そういうことの積み重ねなのだと思う。

佐藤さんに出会ったのは10年ほど前にインタビューをお願いしたことが縁だが、そのときに佐藤さんが話していたことや、その他のいろいろな人が話していることを慶應の井庭さん、学生さん、その他の人たちと一緒にまとめたことがある。

佐藤さんが話していたことから"抽出"された"ことば"は次の2つだ。

できることリスト:できないことばかりに目を奪われない

できることリスト:できないことばかりに目を奪われない。

よい先輩との出会い:自分より前を歩いている人から学ぶ

よい先輩との出会い:自分より前を歩いている人から学ぶ

佐藤さんはよく「認知症は不便ではあるけれど不幸ではない」ともいう。

佐藤さんから電話を貰って、新年に書いたという英文を電話口で聞いて、改めて佐藤さんは私の前を歩いているなと思った。

訪問していただきありがとうございます。これからもどうかよろしくお願い申し上げます。