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「生きる理由」は日常にこぼれる些細な喜びの積み重ね。

今年があと4日になって急に「年末感」に追われているオカダですけれども、こんばんは。
昨日まで「年末感ないなあ〜」なんて言ってたのに、なんだろう。
「良いお年を」と口に出して人に言ったからか、テレビが特番だらけになったからか、スーパーで流れる音楽がお正月の曲になったからか。

なんにせよ、年末が襲来している。
慌ただしや。


さて、話は変わりまして。

今年はなぜか「生きている意味」や「生きる理由」なんてのを、よく考える一年だったな。と思う。

別に、自分や家族が重い病気にかかったとか、命の危機に直面したとかいう理由は特になかったのだけど、なんとなく「生きる」について考えることが多かった。

特に夏から秋頃は「なぜ私は生きているんだろう。生きなきゃいけないんだろう」的な思いにおそわれて、しんどかったりもした。
わりとメンタルは丈夫な方なのだけど、なかなかに今年はきつかった。

そんな日々の中で「この子のために生きていかないと」と思わせてくれた猫に感謝。

そして、これまたさして理由もないままに、暗かった日々たちは勝手に通り過ぎいった。

自分、生きててよかったよ。


でも、まだどこかに「何のために私は生きるのか」という疑問というか気持ちは残っていて、答えを探していた。

そんな時、ドラマの中にひとつの答えを見つけた。

それは「セクシー田中さん」の中の一言。

ある女性が、主人公田中さんから教わったと話す「退屈な毎日を変える魔法」がすごく響いた。

行きたい場所に来れた。
はじめての国の文化に触れた。
好きな色のスカーフを買えた。

ひとつひとつは些細でも、たくさん集めれば「生きる理由」になるよって。
あれから、毎日「生きる理由」を集めてるの。

そのあと彼女は「大好きな一人息子が会いに来てくれた」「手術が無事に終わった」「お父さんとケンカができた」ことを挙げて

「ね、ワクワクするでしょ?」と笑った。


それを見て「そうか、些細なことでも、誰かにとってどうでもいいことでも、自分が『嬉しい』とか『楽しい』と思えることを集めたら、それが『生きる理由』になるんだ」と思えた。

「生きる理由」ってもっと、なにか壮大な「使命」のようなものを考えてしまっていたけれど、もっと小さい「自分ごと」でいいんだなって。

たとえば「猫が美味しそうにごはんを食べた」「友達と大笑いした」「見たかった景色を見れた」「夕陽がきれいだった」「良い写真が撮れた」とか、そんな身の回りの小さなことでも(もちろん大きなことでも良いけど)、それはじゅうぶん「生きる理由」になるんだなって。

そう思ったら、なんだか日常が愛おしく思える気がした。

日々の中に「生きる理由」はたくさん転がってるから、それを探して積み重ねていけばいいんだ。


って、書いてて思い出したんだけど、そういえば昔、ポリアンナが「しあわせさがし」ってやってたよね(分かる人は同世代)。

よし。しあわせさがそう。
1日いくつ見つけられるかな。

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