森田真生『数学する身体』『計算する生命』を読み直す。

一般的に数学は「極めて抽象度の高いゲーム」と思われているので、数学者はまるで頭の中だけで巻き起こる“純粋な思考”のようなものをしている感じがするが、数学者の岡潔は、むしろ数学における情緒の重要性を説く。それは五感で触れることのできない数学的対象に、関心を集めてやめないことを指す。

数学は、粘土板や紙とペンといった道具との相互作用を通じて発展していった、数や幾何学が織り成すある種の生態系と捉えた方が良い。日夜その生態系では、ある規則に基づいてなにかが弾き出されたり、またあるときは規則そのものを打ち破る新しい規則が生まれたりする。

数学をするということは、そのダイナミックな生態系の流れに、自他の境界が曖昧な状態で飛び込み、身を浸し、不確実な場所へとさらに足を踏み入れるということだ。行為は思考であり、思考は行為である。その繰り返しによって、数学の可能性は拡張され更新されてきた。

読んでいて連想したのは、南方熊楠の「直入」。

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