おかふじりんたろう

〇個人で株式会社インターンという動画制作会社をやりながら、余ったお金やエネルギーでユニ…

おかふじりんたろう

〇個人で株式会社インターンという動画制作会社をやりながら、余ったお金やエネルギーでユニークローカルメディア 「凜」―RIN https://uniquelocal.net/ をやっています ○雑誌や音楽などいろいろ作っています

マガジン

  • 読書メモ

    要約でもないし、感想文でもないし、書評でもありません。本の内容を自分自身に憑依させて書いている感じですので、より正確に本の内容を知ろうと思ったら、ご自身で読むことをオススメします。

  • 摂取、分解、再構成。

    日々の記録です。

  • 適当な雑記(休止中)

最近の記事

地方の精神科は予約でいっぱい

去年、自殺未遂までいってしまうような重度のうつ病の知り合いのケアをいろいろしてわかったが、(少なくとも県内2つの市では)精神科はどこも人がいっぱいだった。1ヶ月待ちとか平気である。ようやく受診できても、15分問診受けて薬出されて終わり、みたいな感じだった。 いろんな病院に電話したが、病床にも限りがあるので、入院するまでにも1ヶ月待ちだった。精神科は医者との相性も大きいので、スイッチングコストも大きい。少しでも不安があるなら、精神科はとにかく早めに受診した方がいい。「ヤバい」

    • 定食論

      定食とはお盆である。 ご飯と味噌汁と主菜と副菜が、それぞれ個別バラバラに出てきても、定食にはならない。 それらがお盆の上で1つの「定食」として提出されることで、協働的・創発的な全体性が立ち現れるのである。 同様に、脳のひとつひとつの細胞や神経にはそれぞれ別々の役割があるが、それらが「脳」として集合することで、単純な個の総和ではない「意識」という謎の全体性が発生している。 同様に、「あいつがいるとなぜか場が楽しくなる」という人がいるが、それはその人自身が“場”のような存

      • 『美の仕事 脳科学者、骨董と戯れる』を読む。

        言わずと知れた脳科学者茂木健一郎が、骨董古美術雑誌『目の眼』で連載していた記事がまとまった本。門外漢である茂木が、編集長の白洲信哉と共に様々な骨董古美術店を訪れ、モノを鑑賞し、その世界へと魅惑されていく。 個人的に良かった場面をいくつか引いておく。 日本橋にある「壺中居」の井上さんと3人で話しているシーン。 “「これはいつぐらいのものなんですか?」 「18世紀後半……」と井上さん。「最盛期のものですね」と信哉が口を挟む。「これはブンインですね。」「ブンイン?」「分院という

        • 森田真生『数学する身体』『計算する生命』を読み直す。

          一般的に数学は「極めて抽象度の高いゲーム」と思われているので、数学者はまるで頭の中だけで巻き起こる“純粋な思考”のようなものをしている感じがするが、数学者の岡潔は、むしろ数学における情緒の重要性を説く。それは五感で触れることのできない数学的対象に、関心を集めてやめないことを指す。 数学は、粘土板や紙とペンといった道具との相互作用を通じて発展していった、数や幾何学が織り成すある種の生態系と捉えた方が良い。日夜その生態系では、ある規則に基づいてなにかが弾き出されたり、またあると

        地方の精神科は予約でいっぱい

        マガジン

        • 読書メモ
          7本
        • 摂取、分解、再構成。
          1本
        • 適当な雑記(休止中)
          8本

        記事

          『おいしいものは田舎にある』『隠居志願』『ぼくのワインができるまで』『美味礼讃 (上)』といった、玉村豊男が書いたり翻訳した本を立て続けに読む。

          何年か前に『料理の四面体』を読んで以来、玉村豊男の「多彩なライフスタイル」と「知への態度」に、勝手に弟子入りしている。弟子は師の一挙手一投足を取り込まなければならない。 『おいしいものは田舎にある』は、雑誌に掲載されていた80年代のエッセイをまとめたものだが、この本では広島風お好み焼きが意外性をもって紹介されていた。ということは、おそらくそれまで関東圏では広島風お好み焼きが知られていなかったということになる。驚きだ。 読んでいて思ったが、食は、一旦広まって一つ世代をまたが

          『おいしいものは田舎にある』『隠居志願』『ぼくのワインができるまで』『美味礼讃 (上)』といった、玉村豊男が書いたり翻訳した本を立て続けに読む。

          『生の短さについて 他二篇』を読む。

          セネカにおいて、生は立派に活用すれば長く、浪費すれば短くなるものだという。 ではその生の浪費とはなんだろうか。少し長いが、多くの例を確認することで、その浪費のイメージをざっと掴んでしまおう。 “ある者は飽くなき貪欲の虜になり、ある者はあくせく精出すむだな労役に束縛され、ある者は酒に浸り、ある者は怠惰に惚ける。また、常に他人の判断に生殺与奪の権を握られている公職への野心で疲労困憊する者もいれば、交易で儲けようという希望を抱いて闇雲な利欲に導かれ、ありとあらゆる土地をめぐり、

          『生の短さについて 他二篇』を読む。

          『「美味しい」とは何か 食からひもとく美学入門』を読む。

          本書の半分近くは「美味しいものは人それぞれ」という主観主義と、「料理本来の味」を求める純粋主義、この2つの大きなイデオロギーを解体することに費やされている。 たとえば、何時間も煮込まれた豚骨ラーメンのスープを飲んだときに、Aさんは「濃厚だね」、Bさんは「濃すぎるね」、Cさんは「すっきりした甘さだね」と言ったとする。主観主義に立脚すれば「人それぞれ感じ方は違うよね」となるはずだが、日常的な現実としてはそんなことはほとんどありえない。AさんとBさんが「Cさん、そりゃないよ」とな

          『「美味しい」とは何か 食からひもとく美学入門』を読む。

          ぶどうもらった。

          ぶどうもらった。種がなくて食べやすい。種がないってとんでもないことだ。

          ぶどうもらった。

          アレックス・バナヤン『サードドア 精神的資産のふやし方』について

          アレックス・バナヤン『サードドア 精神的資産のふやし方』を読む。 “「まずファーストドアがある。正面入り口のことさ。長い行列が弧を描いて続き、入れるかどうか気をもみながら99%の人がそこに並ぶんだ」 「次にセカンドドアがある。これはVIP専用入り口で、億万長者、セレブ、名家に生まれた人だけが利用できる」 「学校とか普通の社会にいると、人生にも、ビジネスにも、成功にも、この2つのドアしかないような気分になる。でも数年前から僕は、常に必ず……サードドアがあることに気づいたん

          アレックス・バナヤン『サードドア 精神的資産のふやし方』について

          お風呂での目のかゆみについて

          お風呂に入るとなんか目が痒くなるときがあったので、検索して調べてみた。すると「体温を下げる機能」が弱っている場合、顔の毛細血管やらなんやらが伸び縮みすることで、目の周りが敏感になるらしいことがわかった。 そこで今日は、お風呂に入る前に水分補給してから入った。目が痒くならなかった。 なんかずっとそういうものだと思っていた。もっと正確に言えば、そういうものとさえ認識してなくて、ただなんとなく、二十数年お風呂上がりは目を充血させていた。 こういう、自分では気づいていないちょっと

          お風呂での目のかゆみについて

          寝そべり族はサウナにハマるか?

          サウナや激辛料理を「感覚器官への強烈な刺激によって半強制的に意識を現在に呼び戻すソリューション」として考えると、それらはほとんどマインドフルネスである。 社会で生きていくためには、様々な計画や分析が必要で、つまり過去や未来について考えなければならない。そういったドーパミン過剰な状態では、イマココの身体的実感が希薄になる。 だからこそ、その反動として休日のアクティビティとされるスポーツやキャンプは、過去や未来ではなく「現在形のフィードバックループ」を楽しむものになりがちであ

          寝そべり族はサウナにハマるか?

          【通常と異常についての断想】

          ○PS4でAPEX。今シーズンはソロマスターを目標にしているので、毎日かかさず射撃訓練場とランクマッチに1回は行くようにしている。 で、残り日数18日くらいでダイヤⅢまで行けて「お、いよいよソロマス行けるぞ」と思っていた。でも、2日くらい前からランクマッチの様子がちょっと変わってきた。ダイヤⅡの半分くらいまで行けてたのに、ダイヤⅢまで落ちた。「なんかこれは俺が沼ってるとかじゃなくて、なんというか、プレイヤーの質がちがうぞ」と思って観察すると、プレイヤーレベル100とかなのに

          【通常と異常についての断想】

          1(2022年1月22日に書く)

          当たり前のように電気を使っている昨日の夜、居間の蛍光灯が切れたので「ロウソク&懐中電灯をペットボトルに乱反射させて灯りを確保する生活」になった。 まあでも、読書とか書類仕事以外のときは、これで全然大丈夫なんじゃないかという感じもした。 でも、これで長く生活していると、なにかを踏んづけたり、足の指をぶつけたりして、やっぱり大丈夫じゃないのかもしれない。 無理しない久しぶりに自分1人で具材を選んで買って適当に鍋を作った。2、3日はこれで持つ。カット野菜と残りのレタスと人参。

          1(2022年1月22日に書く)

          デヴィッド・グレーバーの『官僚制のユートピア』『民主主義の非西洋起源について』、イヴァン・イリイチの『脱学校の社会』Remix。

          デヴィッド・グレーバーの『官僚制のユートピア』『民主主義の非西洋起源について』、イヴァン・イリイチの『脱学校の社会』を立て続けに読んだ。 以下、この3冊と自分の考えをごちゃまぜにしたRemix。 国民国家のあらゆる規制や制度は、結局のところ、権力が暴力を行使できることで成り立っている。当たり前だ。いくらルールを作っても、それを強制させる力がないとルールがルールとして成り立たない。 さて、国民国家とは、国民“主権”ということになっている。しかし、よく考えてみれば国民には暴力を

          デヴィッド・グレーバーの『官僚制のユートピア』『民主主義の非西洋起源について』、イヴァン・イリイチの『脱学校の社会』Remix。

          「バックパッカーのサバイバル」適当雑記(2021年5月29日)

          準備とはランダム性を排除することだ。たとえば旅行の準備で、スケジュールを入念に確認したり、予備の着替えを詰め込む作業は、偶然のトラブルを避けるために行われる。そして脳内では、完璧な旅行がシミュレーションされ、準備の段階で期待に胸が膨らむし、キャリーバッグもつい膨らむ。 対して、バックパッカーという存在はランダム性を愛する人たちと言える。彼ら彼女らは、文字通りバック1つしか荷物がない。 代わりに「まあ最悪どうにかなるだろう」というポジティブな態度を携えている。バックパッカーは

          「バックパッカーのサバイバル」適当雑記(2021年5月29日)

          「ランドセルのダダイスト」適当雑記(2021年5月21日)

          近所の小学校。「コロナに負けずにがんばりましょう!」というメッセージとともに、各生徒が書いたイラストが、運動場のフェンスに展示されている。マスクの着用や手洗いうがいを呼びかけるイラストが多く、「みんな優等生だなあ」と思う。 そんな中、PUMAに「がんばれ」のイラストがあった。唐突すぎて吹き出す。最高だ。コロナとPUMA。その飛距離が想像力の余白を生む。非優等生は文脈を無視し好きなものをぶち込んでくる。ランドセルのダダイスト。

          「ランドセルのダダイスト」適当雑記(2021年5月21日)