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暴れてる

雷が怖い。

どの面が言ってんだって感じだけど。娘がいる手前、おうおう今日は暴れてるね〜なんて陽気に言うけど、本当はちびりそう。

昔のことを思い出す。
雷がすごい日に鍵がなくてね。家に入れず、マンションのエントランスかな。
ピカって光ってから落ちるまで、1、2、3…って数えて距離を測るってのを繰り返して、まだ大丈夫だ、まだ近くないってね。

結局、友達の家に行ったけど、近づいてくるあの感じがなんとも怖いのよね。



今日思ったことがあって。あと感銘を受けた言葉も重ねて。


私の人生も短いのか長いのかは分からないけれど、何を思って、理解して、持って帰るのかなって。魂の帰る場所があるとしたらね。

何かを信仰しているわけじゃないんだけど、例えば宇宙人っていると思う?の問いに対しても、私たちの存在がもう宇宙人だからさ、私たちが宇宙に存在しているかぎる、自分たちのことは否定出来ないから、宇宙人はいるって。

急に何を言い出したんだってね。怖いね。

だからこの外に出すことのない、たくさんの形の無い思いも、実在すると形あるものとして何か象徴するものを信じるわけじゃないけど、この思いが魂そのものだとしたら、この形の無いものだって私たちが知り得るはずが無い場所に帰るかもしれないっていう感覚。

おっと。雷にでも撃たれたかな。


今は修行の身だと思っているんだけど、私に影響を与えた人は、人生を旅するように生きていて。でも、きっと言葉が違うだけで、修行するのも旅をするのも、本質的にはきっと同じなのかもしれないと。

感覚を大事にしているから、誰かの発言で怒ったり、感情を振り回されるようなことは、ないようにしている。(心掛けている)

言葉を持ちすぎているから。でも、誰かに伝えるには足りなすぎるから、選び損ねることだってあると思うんだよね。

言葉の受け取り方は、基本は勘違い合戦かも。都合よく解釈しているだけなのかもしれない。良くも悪くもね。

話さないことが、かしこいことだってあるんだよ。そうそう。


言ってしまう人、やってしまう人も人間らしくて好きだよ。賢い人も好きだよ。色んな人がいて良いんだよ。

だから、合わせ鏡のように。見つめるのなら、受け取った私の心がどんな状態なのか。



話は戻るけれど。宇宙人の話では無いよ。

喜怒哀楽、全てがあってこその人生なのかも知れない。そこに価値はあってないようなもので、生きることを全うすることに価値があるって。

何かを探しながら巡ってく。
見失いながらも、
小さな喜を、見つけ出して。
大きな哀は、誰かを思う強さに。

怒は、人にぶつけたく無いよね。学びにしよう。
楽は、小躍りしちゃおう。



愛を持って、知って、人生を全うできるように。

みんなこの時代を生きていこうね。私たちが生まれたこの時代を。


おやすみ、パトラッシュ。なんだか寝る前だから変なスイッチが入ってしまった。

睡眠が乱れてるから今日はもう寝るんだ。

雷もどっかいっちゃった。しばらくはこないでね〜あばよ〜

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