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おめでとう二十歳!!

本日は、二十歳のつどい

今、成人は18歳からとなっています。
ですが、成人式ではなくはやり集まっての式典は20歳のくくりで行う事としている、我が町、生駒市
二十歳のつどいとして本日式典が行われました。
私も来賓で参加してまいりました。このような場に来賓としてともに祝うことが出来たことに感謝いたします。
そして二十歳になられました皆様、おめでとうございます!!


式場会場前(開会前にて)

懐かしい想い・・・

 コロナ感染防止も含めまして、校区で2部構成に分けて行われた今年度の二十歳のつどい、生駒市では二十歳の同じ立ち位置の皆さんが実行委員形式で司会進行からすべてを作り上げる方法で開催されています。
私も実は二十歳の時その実行委員の1人で司会進行をしておりました。
あの場所に司会として立ってた時は、あれこれバタバタ天井からスポットライトをする人までわれわれでしていました。「久しぶり!!元気してた?」そんな声が周りから聞こえてはいましたが、全然そんな懐かしい顔ぶれを式で見ることは私にはできなかったのを覚えています。悪い感じで言ってますがすごい経験であり良い思い出・・・
 で、42歳になってまさか二十歳の皆様と同じ位置で舞台を見ることが出来るなんて思ってもいませんでした。これまたすごい経験をさせて頂きました事に感謝です。ありがとうございます。


しおり

当たり前・・・

 市長の挨拶にもありました、二十歳になって是非帰ってからでもよいので親子さん、おじいちゃん、おばあちゃんに今日までのお礼を言ってあげてください。
これ本当にとても大切であり喜ばれると思います。
私は言えたかな・・・たぶん口では言えていないと思いますが、今同じ生駒市から出ることなくこの地で共に仕事が出来ていることが感謝のお返しかと思っております。
 そこで、当たり前・・・親も街も、この場所で育ち、当たり前のように二十歳になるこの日まで、実は色々な苦難にも耐えて成長してこられたことだと思います。私も42歳といえどもまだまだです。でも二十歳の時はこんなんだったな~ちょっとふざけることで笑いを取って目を引いて!!
俺のほう見てよの性格を今でも思い出します。ちょっと恥ずかしいですね。
今思うと・・・

 この当たり前の毎日を過ごすことは、感覚の麻痺が発生し、実は考えるべき部分が抜けてしまう人生になりがちだと普段から思っています。親がいて当たり前、家があって当たり前、家の前にコンビニがあって当たり前、電車走ってて当たり前、今ではすぐにスマホで調べられて当たり前。
私は、この町にずっと住んでいて目の前に山があって当たり前。山に囲まれていて先が見えないのが当たり前~
 でも、生駒から別の街に車で出かけると、いろんな不便や便利をまた、山がないから見通せる不思議さを感じます。
でも別の街から生駒に来た皆さんは、この町をどう見るのでしょうか?それが私には経験、体感できない一瞬だと思うのです。
私がこの町をたぶん5年、いやもっと出ていかないとこの当たり前から抜け出せないと感じます。
 しかし、当たり前がそうでないという認識で生きていくことが近場での面白発見の第一歩と常に感じながら最近は生きています。この町の異次元、家族の存在、そして我が子の生まれてきた意味を、当たり前でない日々に置き換えてこの不思議を現実に変えた人生をこれからも送ろうと思っています。

新たな一歩に・・・

そんな二十歳の新たな一歩に、この当たり前でない日々に早く見つけ、高校生であった学習の人生から自らを研究する大学生や仕事に出て生きていく上での切り替えが早ければ早いほど、先の進むべく夢や道が見えてくると思います。
是非、健康第一で、元気で未来をつなげ明るい日本に導いていただきたいと思います。とても参加して元気をもらいました。

本当に、おめでとうございます㊗

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