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「なぜLAZYBONES(ぐうたら男)は働かないのか?」~ジョニー・マーサー徹底解剖1

さて、ジョニー・マーサーの代表曲を解説していくシリーズの第1回目は『LAZYBONES(レイジーボーンズ)』だ。

Johnny Mercer(1909 - 1976)

南部ジョージア州サバンナの超名門家に生まれたジョニー・マーサーは、勉強よりも音楽が大好きな少年で、同じ白人の子供たちと遊ぶことよりも、黒人の使用人や行商人と一緒にいることを好んだ。彼らの歌う黒人フォークソングやブルースの虜になっていたんだね。

そして黒人教会に入り浸り、ゴスペルソングを一緒に歌っていた。これらの黒人音楽がジョニー・マーサーというソングライターの原点となったんだ。

家業を継ぐために大学進学の準備を進めていた矢先、父親がビジネスで失敗し破産。大学進学は中止となり、マーサーは一旗揚げるためにニューヨークへ向かう。1928年のことだ。

折しもニューヨークは狂乱の好景気に沸き、ハーレム・ルネサンスの真っ只中だった…

それまで白人たちからは蔑視されていた黒人音楽が「JAZZ」となって大爆発したんだよね。

ジャズとレヴュー、ミュージカル全盛期に活躍した偉大な作曲家・作詞家の多くが、東欧のポグロム(ユダヤ人迫害)から逃れてきた移民やその二世やった…

ジェローム・カーン、ロレンツ・ハート、リチャード・ロジャース、アーヴィング・バーリン、オスカー・ハマースタイン2世、アイラとジョージのガーシュウィン兄弟…

挙げたらキリないな。

特にラビの家系出身者が多かったんや。もの心つく前からヘブライ聖書の朗誦を聞いて育ち、さらに音楽や詩の英才教育を受けとって、それが血肉となっとるさかい。

後のレジェンドたちがひしめく錚々たる世界に飛び込むことになったんだから、田舎育ちで19歳の若造だったジョニー・マーサーにとっては、かなり刺激的だったろうね。

そしてさっそくマーサーは、コーラス&ダンサーの女性と恋に落ちる。

彼女とすぐに結婚することになるんだけど、両親には内緒だった。夜のステージに立つ女性なんて絶対に反対されるだろうし、しかも彼女は東欧からの移民でユダヤ系だったから…

アメリカ第二の国歌といわれる『God Bless America』や、クリスマスの定番ソング『ホワイト・クリスマス』の作者アーヴィング・バーリンも、恋人の父親に猛反対されて交際を禁じられたんだよね。

恋人の家庭が厳格なカトリックの家だったから…

そして恋人はヨーロッパに隔離されるんだけど、バーリンは歌をラジオにのせて愛を伝え、様々な困難を乗り越えて二人は結ばれたんだ。

せやけど、ハネムーンで悲劇が…

そして再婚して授かった息子が…

アカン。バーリンの人生を思い出したら泣けて来た…

さて、ニューヨークの「Tin Pan Alley(ティン・パン・アレー)」のメンバーとなりソングライターとしてのキャリアをスタートさせたジョニー・マーサーにとって、最初の大ヒット曲は1933年に発表した『LAZYBONES』だった。

レイジー・ボーンズ?

怠け者、ぐうたら、非生産的人間っちゅう意味や。

一日中何もしないで寝ている男の歌なんだけど、これは当時の世相を反映したものだといえる。

なにせ1929年から始まった世界大恐慌で、1930年代前半は大量の失業者が発生していた。

財産を失い、仕事も無く、昼間から路上でゴロゴロしている人々が町中にあふれていたんだ…

そんな人たちを「LAZYBONES」なんて歌ったの?

大恐慌ですべてを失って寝てるしかない人たちを「ぐうたら」呼ばわりするなんて、ジョニー・マーサー、ひどくない?

あわてない、あわてない。

センスの無い作詞家なら、ただのデリカシーに欠けた歌になってしまっただろうけど、天才ジョニー・マーサーはそうではなかった…

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