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自分を表現する目的は、相手に価値を提供するため

最近「一億総クリエイター時代」
っいう言葉をよく耳にすると思う。

SNSを中心として、自分を発信できる手段が増えて
より手軽に自分を発信できるようになった。

そこから、個人主義的な風潮も感じる。

「発信できないと生き残れない。」

そういう無言のプレッシャーを感じる。

そこで、改めて考えた。

発信する、そもそもの意味について。

個人的には
自分を知ってもらう
ということが本来の目的だと思う。

何を当然なことをw
っていうリアクションが返ってくると思う。

そこで、もう少し考えを深めたい。

自分を知ってもらって、どうしたいのか?
何のために自分を表現するのか?

承認欲求を満たしたいのか?
稼げるようになりたいのか?
もっといろんな人と繋がりたいのか?

これらの目的も間違いじゃない。

でも、これは結果だと思う。

僕が考えるのは
他者に何か提供できるするため

このために、自分を表現すると思う。


今、Blind Up.のインタビュー記事「伴走談」の執筆中で
ゲストがカメラマンさんなのだが
高校で不登校になったという。

勉強の成績が全て、という価値観が崩れて
「自分はどうしたいのか?」

という問いをした結果
海外へ行きたいという気持ちに気付いた。

そこから浪人して大学へ進学。

このタイミングでカメラに出会った。

そこからの彼女の行動は変わる。

基本的に1人の時間がメインで
人前で喋ることが得意ではない。

でも、カメラを手に取った瞬間から
どんどん外に出る時間が増えた。

撮影のために人に会うのはもちろん
イベントや美術館へいく機会が増えた。

カメラがきっかけで、自分について話す時間が増えた。

自分について知ってもらえる。
なんでカメラやっているのか
どんな写真を撮っていて
将来どんな写真を撮っていきたいのか

その時間を通して

私はカメラで人に何かできるんじゃないか?
という気持ちになったそう。

僕は、その話が印象的だった。

自分自身で自分を表現できない。
だから、カメラを手に取った。

そこから、一気に世界がひらけた。

自分を知って欲しいから
自分は目の前の人に何ができるか?

だから僕は、自分を表現する目的として
他者に何かを提供するための前段階、準備段階になるんじゃないか?

そう考えるようになった。

それを踏まえると
自分はどんな手段で自分を表現しよう?

この問いに真剣に向き合いたくなった。

Blind Up.としてはもちろん。
自分個人としても。

今出ている仮説は
インタビュー。

もっと言うと
人の話を聞くこと。

話を聞いて
それを文章にまとめる。

それが自分を表現できる手段かなと。

まだわかんないけど
これで生きていけるようにしたいと
今は思っている。

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