環境変化:みのの場合

最近韓国海苔にハマっています。みのです。
あまりの美味しさに楽天市場で注文数を間違え、手元に8枚入り1パックが72個手元にあるくらいです。
「発注しすぎでは?」みたいなポップアップが出る仕組みにしてくれよ…。

さあ、そんなわけで12月初旬までに576枚の韓国海苔を食べる必要が出てきた私ですが、そんなこと以外にもハマっている習慣?のようなものがございまして、私語の単語帳化のような、言うなれば自分辞書のようなものを書き留めることにハマっています。
きっかけは、村上春樹の“スプートニクの恋人”のとある一節に心惹かれたことから始まります。

“我々は実のところ自分についていったいなにを知っているのだろう?
 そういうことを考えれば考えるほど、ぼくは自分自身について語ることを(もしそうする必要があるときでも)保留したくなった。それよりはむしろぼくという存在以外の存在について、少しでも多くの客観的事実を知りたいと思った。そしてそのような個別的な事柄や人物が、自分の中にどのような位置を占めるかという分布なり、あるいはそれらを含んだ自己のバランスの取り方なりを通して、自分という人間存在をできるだけ客観的に把握していきたいと思った。”  村上春樹-スプートニクの恋人-

要は、自分についてを知るには、1つの物事について感じる“自分と他者との差異“を抽出することにより、その差異こそが自分自身なのだと、読み取ったわけです。
物語上での解釈というより、この文章のみを切り取り、「自分自身について測るためには、個人的な主観も他者の主観を知ることで自分についての客観的な事実になるのではないか」と今後の自分にとって必要なことなのではないかと直感で受け取りました。

ここから自分辞書にどう繋がるか。本当は世間の出来事・社会情勢などについて、あれやこれや自分の感想をまとめたいところだったのですが、あまりに考えるパワーを要することや持続性を考慮し、一単語などに対して、自分の感想的な語釈を作ることで、自分の主観、それからその単語について、相手はどう解釈しているかを感じ取り、自分自身について、相手について、他者との距離の測り方を知ろうと結論に至りました。

例えば、“未来”という言葉について
「想像し、実行に移し、創造するもの」と半年前の自分はノートに書いてあります。(こんな解釈をしているので、このとき相当良いことがあったんだと思います。)
今も勿論この考えに特に変わりないのですが、
未来について「どうなるか分からないから今を楽しむ」という考えをする人に、自分はある種「即物的だな」と感じるようになっていたことが、ノートに書き記したことで改めて客観的に知ることができたのでした。
自分の考えと違う人が嫌いだとか自分が正しいとか、そういうことではなく、それが“差異”なのだと実感したのです。
この差異を知り、即物的と感じた人に対しては、なるべく現状や週末の予定を話す程度に留めるなど、行動面においてもどう気を回すべきかを以前よりあれこれ考えなくてもよくなったように感じています。
ある種の実験精神と言いますか、「このことについてこう捉えているということは、こういう風な話をしてみてはどうだろうか」と瞬時に考えを巡らせ、行動を起こし、それに対する相手のリアクションを見ることで、自分の考えや行動に対して結果を得られることに、どういった形でも非常にポジティブに捉えられるようにもなったように思います。
マイナスな反応ならそれを避ければいいですし、ポジティブな反応なら類似事項を積み重ねていくだけですからね。


ビジネス書でも自己啓発本でもないフィクションの小説で、リアルの自分に対して変化が生まれる(しかも偶然に)のは、娯楽に対して、ある種の期待感を覚えるきっかけにもなったのでした。

娯楽:労力なく得られる癒し(以前までの語釈)
  :自分の心情や行動に変化をもたらすもの(今の語釈)

今後も続けていきたい習慣というか最早ライフワークになりそうな気がします。


ではまた。


みの

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