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自分の年齢に気づかなくなる話

 子どもが成長してその年齢に注意が向いていると、自分の年齢に気がつかなくなる。というか、自分に向かってちょっと待てと言って計算するくらいに、自分の年齢がわからなくなる。そのことに気がつく。

 小さいころや20代くらいまではそんなことはなかった。むしろ誕生日が近づくとちょっと腰が落ち着かなかったし、そこにあった特別感は確かに一年に一度だけの日がもつ魔法があったと思う。

 それが、30も後半になったころから、あれ、どうやら俺は自分の誕生日に関心がなくなりつつあるぞ、と頭のどこかで薄々感づきはじめた。交際していた時の妻への誕生日などは忘れたことはなく、自分のも祝ってもらっていたが、そもそもそこにあまりこだわりがなかった。一種のエイジングへの抵抗だったんだろうか。

 それが、子どもができてちょっと決定的になった気がする。自分の誕生日より、娘や息子の誕生日の方に力が入るのだ。近場の店で飾り付けるものを探したり、いつもは食べられない甘いケーキを出してみたり。特別感を子どもたちに押し付けているというか、印象づけようと躍起になっている気もする。まあそれは、小さいころの記憶ってどうしたって希薄だからだと思う。自分もそうだったように、子どもたちはこれからの出来事の方を多く記憶していくだろう。覚えることが多すぎるくらいのはずだ。そんな中、その脳のちょっと片隅に、祝われた記憶の残像をレイヤーとして重ねていきたいのだ、たぶん。

 ちょっと前まで赤ちゃんだったのに、と思っていてその子が小学校に上がったりすると、そのぶん自分も歳をとっている。はずなのに、そのことに気がつかない。あれそうだよな、俺も6才歳とったんだよなみたいに。知らぬ間に数字だけが増えている。

 なぜこんなnoteを上げるかというと、今月が私の誕生月だからです。なんという安直&貧弱な(汗)。でも妻が結婚10周年も兼ねて豪華プレゼント予算を計上してくれるそうです。先に彼女にやっといてよかった(笑)。

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