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もう制服化は諦めた(たぶん)。

 僕はミニマリストでもなんでもない。
 こんまりメソッドが海の向こうで大流行しているようだが、よけいなものをすべて断捨離しシンプルに生きる、というのは、それはそれでいい生き方だと思う。
 自分はというと、むしろ今年買っている古着などだけ見ても、真逆へ全速力で行っている。令和に浮かれているわけではないだろうが、この夏などは持っている夏服はあらかた入れ替わってしまったほどだ。
 にも関わらず、特に夏がそうなのだけれど、毎朝の洋服を考える手間を減らそうと、制服化しようと思うことが頻繁にある。

 制服とは言ってももちろん学生時代のそれではなく、スティーブ・ジョブズやザッカーバーグ、日本なら佐藤オオキのように、グレーや黒のインナーやジャケットを毎日着る分だけ揃えたり履く靴はニューバランス一択など、毎日着る服をある種ルーティン化してしまうということだ。そのある種のディシプリンというか強い意志のようなものに、ほんのりと憧れてしまう僕の香ばしさたるや、いささか恥ずかしくはある。

 だが幸か不幸か、いつも決まって計画は実行される前に頓挫する。あるいは妻から「そういうタイプじゃなかろ? むしろいつも違う服着て気分転換したいタイプやん」(妻は福岡の人なのだ)というぐうの音も出ない厳然たる観察眼と経験則により、無残に打ち砕かれるのだ。

 いちおう、同じアイテムを複数枚持っているものもある。だがそれも、家着用のユニクロのスーピマコットンTシャツを4枚ほどあるくらいだ。そしてもちろん、寝間着用のTシャツはその倍以上あったりする。部屋着でさえこの始末なのだから、外出用で適用されるとは自分のことながら思えない。

 なのだから、そろそろ制服化の目論見は諦めるべきなのだろう。
 おそらく根本的に性に合っていないのだ。

 明日はどうしようかな、この間買ったパンツ履こうかな、それなら靴はやっぱりあれかな、みたいなことが好きなのだ、僕は。そういう自分を受け入れようと、40手前になってようやく思えて来たのだから世話はない。
 靴や自分の中での定番アイテムはわりと(というかようやく)固まってきたので、そのほかで遊びがあったほうが精神衛生上もいいように思える。
 どんなささいなことにでも遊びは必要なのだ。それが服選びで頭を悩まし、大きなビッグアイデアを生み出せない根源だったとしても。対岸のイノベーションよりも、日常の瑣末なことに僕は頭を悩ませていたいのかもしれない。

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