Floral_067_のコピー

一人では行かないところ

ライター仕事でいいなと思うのは、自分だけでは絶対行こうと考えないところに「仕事だから」と行けること。たとえば昨年末に出かけた茨城県東海村に辿り着いたときは「ここは一人では来ないなあ」と大きく深呼吸した。

神奈川に住んでいると北関東には本当に縁がない。仕事はだいたい都心に出れば済んで、東京の東側に行くことも少ない。行くとなればちょっとした旅行のような感がある。でも旅行先として選ぶかというとそうでもないという、微妙な距離感だ。

東海村の名前は原子力関連のニュースでよく聞く。施設や研究所はいろいろあるのだと知識では知っている。でもまさか、その中の一つに、話を聞くために行くとは思わなかった。

上野から特急に乗ると、同じような用事があるのか、スーツ姿のビジネスマンが肩を寄せ合って座っている。特急席はおじさん2人組にとってはちょっと狭い。自分も窓際の席へ、おじさんみたいに手刀を切って「すみません」と入っていく。おもむろにパソコンを開いて仕事をする人もいれば、隣の部下や上司とおつまみを開ける人もいる。

東京の電車にはない解放感が漂っているのはなぜだろう。やっぱり特急という特別感が影響するのだろうか。これから取材に向かうはずのこちらも緊張のネジが少し緩む。

窓から見える景色はゴミゴミしたビル群を抜けて住宅街になり、何もないところを抜けて、また住宅街になる。たまに通過する駅では東京方面行きのホームに人があふれていた。

東海駅に到着。待ち合わせをしたクライアントさんは少し年下の女性。「少し早いですねえ」と腕時計を見つつ、ぐるりと見回してみた。見事に何もない。いや、道がある。道しかない。タクシーがいる。でも1台いるかどうかで、誰かに乗られたらまた道だけになる。

でもそこで一つ看板を見つけた。

「金澤翔子展」

あっ、知っている。女流書家さんで、お母さんと一緒にダウン症を乗り越えて実績をあげているあの人だ。駅舎内のスペースで展覧会をしているらしい。近づいてみると「料金500円」の表示がある。

思わずクライアントさんの顔を見てしまった。

「あのう、これ料金払ってもちょっと見たいんですけど……」

20分くらいなら余裕あるはず、ありますよね、と目で訴えたと思う。クライアントさんも時計を見て「行きますか」と言ってくれた。入口でお金を払ってチケットをもらい、中に入るとすでに何組か見学客がいた。一角にあるテレビでは金澤さんが実際に揮毫するドキュメンタリーを流している。

三方の壁に作品を掲げた展示は圧巻だった。

ただでさえ筆文字には力があって、止めや払いの一つ一つに意味と景色を感じてしまう。金澤さんの字にはさらにダイナミックな構成力が加わって、目の前に立つ人をしばらく釘付けにする引力があった。一度見ると離れられない。

中でも印象に残ったのは楷書の作品だった。

書家の作品というと破天荒さが際立って、ともすれば「自分でも書けそう」と勘違いしてしまうし、実際に口にする人もいる。でも金澤さんの楷書は正しく美しく、バランスも線もすべて整っていた。あれは間違っても「真似できる」なんていえない。日々字と向き合って鍛錬した人のストイックな字だった。

屏風に書かれた大きな字や、掛け軸に絶妙な配分で置かれた個性的な字は、この楷書の土台があるから美しい。実物を目にして納得した。決して筆任せで書いているのではない。任せるにしても筆と何年も語ったうえでのお任せであって、人と道具の阿吽の呼吸が書を実現させる。

メディアでの金澤さんの字は、いわゆる「書家っぽい」イメージを裏切らないものばかりだ。でもこうやって注目される前の金澤さんは、お母さんと一緒に、地道に楷書のルールとバランスを練習してきた。その成果は息をのむほどの秩序で並んでいる。むしろこの楷書を広めたほうが金澤さんの凄さが伝わるのではないか。

いろんな作品を行きつ戻りつ、結局楷書の前に一番長く立っていたように思う。立ったままドキュメンタリーを見ていたクライアントさんが振り返り、「行きましょうか」と出口に向かった。

そうだ、自分の仕事がこれからだった。








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