「締切過ぎちゃった」といえる感覚がまったくわからない

正直にいって「締切過ぎちゃった」と悪びれずに言えたり書けたりする人の感覚はまったくわからない。「それくらい当たり前だろう」だと思う人は、たぶんこの下の文章を読んでも意味がわからないと思う。

それでも書きたくてこの文章を書いている。

私が初めて仕事の締切に向き合ったのは広告営業職のときだった。日刊紙を出す会社で、紙面の上半分は記者が書いた記事が載り、下半分には営業が取った広告が載る。記事にも広告にも締切は毎日あった。

記事は即日書いて出せるが、広告は枠を売り、広告の内容を相談し、デザインを決め、制作し、確認を取るための時間が要る。早めに広告のお客様を見つけて準備できればいいが、ギリギリの出稿決定では制作と加工と確認のスケジュールをしっかり決めないと掲載に至らない。

いつまでにお客様と協議してデザインラフを制作部に提出するか。その加工にどれくらい時間がかかるか。お客様の最終確認はいつできるか。「枠が売れた」と思った次の瞬間から後工程の心配が始まる。

ずっとお店にいるタイプのお客様ならともかく、場合によっては担当者が出張でいない期間がある。それらも考慮して確認をとれるように調整し、ちゃんと完成させるのが仕事だった。

ラフ出しが遅くなればデザインの時間が短くなり良いものができない。デザイン完了時間を定めなければお客様が確認日程が立てられない。最終確認が取れなければ印刷に回せない。

決めるべき締切はプロセスごとに存在して、すべてをクリアしないと間に合わない。前工程と後工程に迷惑をかけないための区切り。私にとって締切はそういうものだった。

ライターになっても感覚は同じだ。自分が原稿を出さなければこのあと修正・確認する人の時間を無駄にしてしまう。レイアウトする人やサイトにアップする人の作業時間が予定より後ろにずれるのが怖い。

絶対、その手の迷惑はかけたくないと思って仕事をしてきた。締切に間に合わないとは、一度取り決めた約束を破るということ。非常に恥ずかしい行為だと思う。

もし納期を守るのが難しいのであれば請ける手前でわかる。通常より時間をもらえるか交渉して作業時間を延ばし、その締切を守る。

最初に約束した期限をオーバーするのであれば、それは自分のキャパを見誤っただけだ。病気や不測の事態は仕方ないが、それ以外はただただ自分のせいとしかいいようがない。

やれると思ってやれなかった。自分でキャパ以上のことを設定した。締切を守れなかった=自分のスキルを過信していた。そういういうことだ。結構恥ずかしい。

「忙しい、バタバタしている」が口癖の人がいるが冷静に考えると「キャパ以上を引き受けてしまって自分には手一杯です」と告白するのと一緒だ。だったら作業量を減らせばいい。本当に能力がある人は、たぶん同じ量を涼しい顔でこなしている。

ライターの仕事では締切を守らない人が多いと聞く。しかし制作側を体験した身からすると「なぜそんなことができるのだろう」と不思議でならない。自分のせいで後工程の人たちの時間を変更させるのは何とも思わないということだろうか。

前工程で締切を守らない人が出ると、何人もの関係者が「ズレ」に合わせた新しい日程を考えなければならない。わざわざ、遅れた誰かのために。本当はやらなくてよいことなのに。

遅れた人のせいで、普通に仕事をしている人がその先の人に頭を下げなければいけないこともある。本当はやらなくてよいことなのに。なぜ締切を破ってこういった面倒な作業を他人に強いることができるのかわからない。

ライターから見える締切は自分向けの一つだけだが、作業完了までにはその先の締切がいくつもある。そこが想像できない人にはなりたくないので、私は最初から実現できる締切を定めて、守っている。


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https://note.mu/okamura/m/m789e705478d4



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丘村奈央子

仕事以外で言葉をつむぐ。2017

2017年のテキストノートです。随時更新中。仕事でスリムな文を書いているので、ここではなるべく「無駄」の多い文を書きます。
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