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「お金のマニュアル」-損をしないコツ- 其ノ2 「清貧思想」と日本人の投資①

 <繰り返される金融詐欺>

 今日も夕方のニュース番組を見て、またか、とため息をついた。マルチ紛いの金融詐欺で160億余りものお金を失った複数の投資家がいたという。何でも田園調布をアジトにした60代の女性講師が説くには「絶対に損のない投資」だとか...。被害者のほとんどが高齢者で、悲しそうにインタビューに答えていたが、正直同情できないのは私だけだろうか? 古くは豊田商事や原野商法から今のオレオレ詐欺に至るまで、手口は変化しているが基本は同じ。言い方は悪くなるがお金に甘いお人好しが狙われている。ここまで毎年のように同じような詐欺が繰り返されるには、何か根本的な原因があるのではないだろうか。思うところを少し書いてみようと思う。

 私の見てきた欧米人、あるいは同じアジアでも中国や韓国なら例え高齢者でもここまでコロコロ引っかかりはしない。なぜなら彼らはお金への執着が強く、もの凄くシビアに育てられてきているからだ。「性悪説」を前提としているので相手の言動なども自ら検証するのが習慣になっている気がする。

 それに対し「性善説」を前提とする日本人は、良くも悪くもお人好しであり、他人の言うことを鵜呑みにしがちだ。悪く言えば他人依存が過ぎる。そしてお金への執着も弱いため本当に簡単に大切なお金を出してしまう

 <日本人の「清貧思想」>

 「武士は食わねど高楊枝」- やせ我慢、見栄っ張りの例えでもあるが、いかにも日本人らしい。同様にお金についても「お金に執着するのは汚い」という見栄、いわゆる「清貧思想」がこの国では、特に高齢層に定着している。日本人の誇るべき良い特長の一つでもあるが、金融詐欺の多くはこの特性の弱点を巧妙に突いていると思う。

 流行りの音楽の歌詞やドラマの台詞でもよく「お金が全てじゃない!」とか「お金には替えられない大切なものがある」などという言葉がよく出てくる。それはそうなのだが、こういう「正論」に心酔しやすい人程詐欺にひっかかり易そうな気がする。(歌もドラマも詐欺もこの層がターゲット?)ともすれば「お金なんて無くてもいい!」と言い放ってしまいそうだが、単なる強がりだけでは現実に生活は成り立たない。

 一方仕事柄つきあいのあった「富裕層」のニュアンスはちょっと違う。 「お金は大事。でも必要以上にあっても幸せになれるわけではない」。  お金の必要性は謙虚に認めつつ、不必要な欲望はきちんと自己抑制。更に言えばこういう人達は必ず客観的な事実検証もするし、恥も外聞も無くオープンに他人に意見を求めたりできるので、詐欺などにはまず引っかからない

 <お金は命より重い?>

 人気漫画「カイジ」の中で印象的だったのが、利根川が借金まみれの若者に言い放つ「金は命より重いんだ!」の言葉。清貧思想の定着する日本ではなかなかお目にかかれなかったセリフだが、これが今うけている。

 「お金」の位置付けが高い欧米や中国はより「カイジ」的だ。例えば筆者のいた外資系銀行では毎年ボーナスの交渉が行われるが、1円でも減らされようものなら上司や会社に食ってかかりいつも大騒ぎ。金額の多寡=本人に対する評価と捉えているため簡単には譲歩しない。

 また、香港でもお金への執着の違いをまざまざと見せつけられた事がある。ある女性社員に「一文無しのハンサムとお金持ちの不格好な男性とどちらが好き?」と、今ならセクハラにでもなりそうな質問をした事があったが「そんなの聞くまでもないですよ」「もちろんお金持ち」。また詐欺事件でも、犯人だけを糾弾する日本と違い、騙された側も批判される

 そこまで極端でないにしても、金融詐欺が繰り返される現状では、日本人もある程度「清貧思想」からの脱却が必要なのではないか

 「お金が全てではない。でも全てのことにお金はかかる」

 理想は大事だが、現実=最低限の生活を支えるお金は必要なのである。

其ノ3では日本人が失敗しそうな投資について、実例を交えて。

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