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全てのサバイバーに幸あれ

初めてサバイバーという言葉を聞いたのは「13の理由」というNetflixのドラマだった。
その後、いろんなところでサバイバーという言葉を見聞きしている。いや、ただ単に自分が意識し出したからなのかもしれないが。

最初はサバイバーという言葉が鼻につく感じがして苦手だった。サバイバーって言葉は特別扱いしろみたいな感じに受け取っていた。
けれども、最近は受け入れられるようになってきた。何なら、noteのタグに「癌サバイバー」というタグを使うくらいに普通に使っている。

その心境の変化の理由は何なのさ?ってところだけれども、ヘルプマークみたいなもんなのかね?と思っている。
目に見えない障害があることで生活に支障があるのを明示するのがヘルプマークだと思っているが、「サバイバー」も何かしらの障害や過去の経験と闘っている、闘っていたことを明示するためのものかな、と思う。

「普通に生きてる私だって人生やいろんなことと闘っているけど?何故『サバイバー』と名乗るんだ?」というご意見も尤もだと思う。
ただ、サバイバーと名乗ることで、同種の経験と闘うサバイバー同士の連帯感が強まる効果もあると思う。

ドラマの「13の理由」においても、ある女性がサバイバーであることを告白することで、その場にいた多くの女性がサバイバーであることを告白するシーンがある。
彼女らが抱える経験、その経験と対峙し、もがいているのは1人ではないのだという連帯感が描かれている。その連帯感は、彼女らが闘うことへの一つの勇気になっている。

サバイバーという単語を使おうと、使わなくても、皆、何かと闘っている。皆がそれぞれ、何かと闘っている。
闘っている経験、障害が誰かと同じものであれば、そこに連帯感が生まれ、さらには交流が生まれる。そして、一緒に闘う同士がいるという勇気が生まれ、より良い生き方がシェアされていくのだと思う。

自分が過去の経験や障害と闘っていることを無理に開示する必要はない。けれども、SNSなどで過去の経験や障害と闘っていることを書いて、同じサバイバーとして交流が生まれていくのは良いことだと思っている。誰かの「闘っている記録」を見るだけでも、何かしらの生き方のヒントが得られるかもしれない。
そんな感じで、SNSを使えれば、皆が幸せになれると思う。

上から目線で申し訳ないけれども、人生という荒波でサバイブしている全てのサバイバーに幸あれ、と思っている。

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