岡野バルブ製造株式会社 岡野 武治

約1世紀にわたり世界的ニッチトップを歩んできた岡野バルブの4代目。大学在学中に世界50…

岡野バルブ製造株式会社 岡野 武治

約1世紀にわたり世界的ニッチトップを歩んできた岡野バルブの4代目。大学在学中に世界50カ国くらいをバックパッカー経験あり。趣味は筋トレと旅行。いろんなトリクミ、タクラミを虎視眈々と。

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42年生きてきて未だに心に強く残っている生き物の話をしてみる⑥

〜大分県佐賀関沖の無人島にはびこる悪魔、肉食ダンゴムシのオマル編〜 なんか最近色々忙しくて、書き溜めた原稿を推敲する暇もない。やっとこさ、noteの更新ができました。 なんだかんだありつつ、無人島到着である。 下船 30分程度の船旅ということもあるが、中途半端な揺れだと船酔いする者も、激しい揺れだと意外と船酔いしない。船酔いよりも生命危機感の方が勝ることが理由だろうか。知らんけど。 船の舳先が無人島の岸に突っ込むと、船は微速前進をかけ引き波でも舳先と岸が離れないよう

    • 42年生きてきて未だに心に強く残っている生き物の話をしてみる⑤

      〜大分県佐賀関沖の無人島にはびこる悪魔、肉食ダンゴムシのオマル編〜 さて、そろそろ無人島に向かうとしよう。 装備の縛り 何度も言うが、無人島に行く目的は漢磨きである。ファッションキャンプに行くわけではない。 オサレで便利な「ギア」を持って行っては意味がないし、そもそも昔はそんなものあまりなかったし、あっても買う資金力は我々にはない。 なんだよ「ギア」って。 設定は船が難破したり、飛行機が墜落したりして運良く生き残り、無人島に漂着した設定である。 本当は着の身着の

      • 42年生きてきて未だに心に強く残っている生き物の話をしてみる④

        〜大分県佐賀関沖の無人島にはびこる悪魔、肉食ダンゴムシのオマル編〜 今回の無人島、オマルが巣食う無人島、ここにはこれまで3回訪れた。 まずはそのあたりから話していこう。 基本情報 前にも書いたが、高校生になってから大学を卒業するくらいまでは概ね毎年無人島でサバイバルをしてきた。社会人になってからも数度。 目的は当然、漢磨きである。 期間はだいたい2泊3日か3泊4日。最初の頃は1週間などと息巻いていたが、あまりの過酷さにこのくらいが適正と落ち着いた。 人数は同級生

        • 42年生きてきて未だに心に強く残っている生き物の話をしてみる③

          〜大分県佐賀関沖の無人島にはびこる悪魔、肉食ダンゴムシのオマル編〜 佐賀関(さがのせき) この場所の名前を知らなくても、関さば、関あじという魚のブランド名のことは知っている人も多いだろう。この「関」は佐賀関の「関」なのである。 佐賀関とは何ぞ? まずややこしいのは、佐賀関という場所が大分県にあるということである。 関さば、関あじ、九州の旨い魚、佐賀でとれるんだ〜、となりがちだが、佐賀関は佐賀からみて福岡を挟んで逆サイドの大分県にある。 なんでか? 知らん。 大

        42年生きてきて未だに心に強く残っている生き物の話をしてみる⑥

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        • 42年生きてきて未だに心に強く残っている生き物の話をしてみる
          6本
        • シナイ山で死にかけた話
          14本

        記事

          42年生きてきて未だに心に強く残っている生き物の話をしてみる②

          〜大分県佐賀関沖の無人島にはびこる悪魔、肉食ダンゴムシのオマル編〜 生まれてからずっとボンボン扱いをされてきました。 事実、どうみてもボンボンです。誰だってそう思う、俺もそう思う。 確かに、家はある、飯もある、その他恵まれていることは沢山ある。 しかし、修行僧のような生活をさせられていた私にとって、ボンボンのメリットは享受できず、デメリットはモロに喰らうことは腹落ちしませんでした。 「あの子、岡野バルブの御曹司らしいわよ」「あいつ、金持ちの息子らしいぜ」遠巻き、近巻

          42年生きてきて未だに心に強く残っている生き物の話をしてみる②

          42年生きてきて未だに心に強く残っている生き物の話をしてみる①

          1年くらいnoteの更新をサボっていました。 サボっていたとうよりも、 本業がバタバタしていたため、そんななかこのくだらなさを追求したnoteを更新していたら流石に怒られそうと思い、自粛していました。 仕事は増える一方ですが、目先のバタバタはひと段落、気分転換に原稿自体はちゃんと書き溜めていたので、2024年よりまた定期的に更新していこうと思います。 ストックがだいぶできたので、当面はその運用でいけそうです。 サボり始めるまで書いていたシリーズは完結までの原稿があ

          42年生きてきて未だに心に強く残っている生き物の話をしてみる①

          DamesとHerenとRestaurantと私~バルブワールド編~②

          さて、ウシロから「またてめえやりやがったな。」と詰められないように、最初に真面目な話をしておく。 欧米の展示会と日本の展示会の違い これまで国内外問わず、数多くの展示会に行ってきた。 今回のバルブワールド然り、他にも電力分野に特化された世界規模の展示会「POWER-GEN」、化学技術、環境保護、バイオテクノロジーに関する世界規模の展示会「ACHEMA」、国内外の工作機械を東京ビッグサイトに集めものづくりフリーク垂涎の日本国際工作機械見本市「JIMTOF」を筆頭に、その他

          DamesとHerenとRestaurantと私~バルブワールド編~②

          DamesとHerenとRestaurantと私~バルブワールド編~①

          シナイ山で死にかけた話も終わったので、今回からは少し本業に関わる話を。 2年に1度ドイツのデュッセルドルフで開催される胸熱のイベントがある。 そう、皆さんご存じのバルブワールドである。 バルブワールドは世界中からバルブメーカーが集まり、3日間に渡って開催されるバルブの展示会。なんとあのポンプワールドと並んでの同時開催である。これは工業プラント配管系の民からすると、ブルーノマーズとジャスティンビーバーが同じ場所で同時にライブをするようなもの、まさに神イベントなのである。

          DamesとHerenとRestaurantと私~バルブワールド編~①

          #19 シナイ山で死にかけた話⑭ epilogue

          聞いた、見た、試した。 もうここに思い残すことは無い。 太陽は地平線から離れて小一時間。 日光も体にチャージされてトカゲ系男子の私は活性を取り戻した。 0830(マルハチサンマル ※くらい)帰投を開始する! 新たな戒 何よりも腹が減った。 よく考えたら食料も持たず、水も最低限、何かあればイチコロの装備である。 若いって素敵やん。 下山はもちろん悔い改めの階段で。 同じ道帰っても面白くないからな。 岩の階段を重力のアシストをもらって降るだけなので、サクサクと降りれる。

          #19 シナイ山で死にかけた話⑭ epilogue

          #18 シナイ山で死にかけた話⑬

          ついにシナイ山頂(標高2285m)に到着。 午前2時を過ぎたら、一番に小屋に入ろう、HAPPY登頂。そう思っていたのに、肝心の小屋は南京錠で封印され、行き場を失った私たち。 日の出、ご来光まで、まだ4、5時間はあるか、どげんすんねん。 東ハンター どげんもこげんもない。 ただ待つのみである。 折角一番乗りでHAPPY登頂したのだから、ご来光は特等席で見たい。 日の出は東の方角からということくらいは知っているが、肝心の東がどちらか解らない。 スマホは無い時代だし、ガ

          #18 シナイ山で死にかけた話⑬

          #17 シナイ山で死にかけた話⑫

          シナイ山7合目くらいの小屋で、小屋番のおっさんが入れたティーをひとしきりシバいたので、出発です。 時刻は深夜0:00から1:00くらい。 小屋番のおっさんも「この時間から登ってどうする~~」的な感じですが、ここに居てもね。 煙草無心されるだけだし。 自然石階段750段 ラクダの道はここから悔い改めの階段と合流し、自然石で出来た階段を登ることになります。その時は知らなかったけど、ネットで調べたら750段くらいだそうです。 ここからはオンザキャメルことはできず、ノ

          #17 シナイ山で死にかけた話⑫

          #16 シナイ山で死にかけた話⑪

          先日、うちの広報チームにnoteの原稿を奉じたところ、私のnoteを「何の広報やねん(怒)」と苦々しく思っている広報チームのリーダー、ウシロからこんなお便りをSlackで頂きました。 なんだそりゃ(笑) そもそも仕事さっくり終わらせて定時で帰らんかい。ウシロいつも頑張ってくれてありがとう。 心配しなくてもこのシリーズもいよいよ終盤です。とはいえ半年引っ張ってるんだから、そりゃウシロも怒るか。。。 アラビアンナイト 我々のキャラバンは、先頭に松明をもったラクダ屋の親父、

          #16 シナイ山で死にかけた話⑪

          #15 シナイ山で死にかけた話⑩

          ついに到着、シナイ山の麓(ふもと)。 記憶はあやふやですが、確か夕刻くらいだったと思います。 シナイ山の麓は、Saint Catherine(サンタカテリーナ|セントカテリーナ|聖カタリナ|聖カトリーナ|聖エカテリナ)という町というか集落がある。 日本語表記にすると色んな発音になるのは、ヨーロッパ系の言語のルーツが同じで、Michaelが、マイケルだったり、ミッシェルだったり、ミカエルだったりするのと同じクダリです。 Saint Catherineってなんぞ?

          #15 シナイ山で死にかけた話⑩

          #14 シナイ山で死にかけた話⑨

          シナイ半島で乗り換えたワゴン車は、片側に砂漠地帯、片側にゴミひとつ無い真っ白な砂浜とエメラルドグリーンの海という風景の中、進んでいきます。 すし詰めに近い車内と、現地の方の濃厚な絡み、それらに気を取られていましたが、目の前には神々しい光景が。 晩年のキリスト 高い鼻梁と窪んだ眼窩と青、いや緑の瞳、比較的小柄な白人男性。 金髪と茶色の中間色の髪はウエーブのかかった長髪でペタッとセンターで分かれ、同色の無精ひげ、服装は現地の民族衣装である白いガラベーヤ(単なる布か?)

          #14 シナイ山で死にかけた話⑨

          #13 シナイ山で死にかけた話⑧

          バスはカイロ市内を抜けて一路東へ。 過疎地を除いて概ねだらだらと街並みが続いている日本と異なり、海外は街、無人地帯、街、とメリハリがしっかりしているケースが多いです。国土面積と人口の問題ですかね。 カイロ市内を抜けたバスは、茶黄色な砂と土と石の世界を進み、時折ある街や集落で停車、乗客の乗り降りと乗客と運転手の休憩がおこなわれます。当然我らがバスにトイレなんぞはついていません。 長距離バス休憩タイムの過ごし方 私は実はどこの国でもこの休憩タイムが好きです。特に集落で

          #13 シナイ山で死にかけた話⑧

          #12 シナイ山で死にかけた話⑦

          シナイ山に向けて出発です。 数日間お世話になった宿にチェックアウトを告げ、荷造。 とはいえバックパックひとつで、持ち物もパスポート、多少の現金、最低限の洋服、暇つぶし用の本、水くらいなので、支度は秒で終わります。 その習性が染みついているのか、今でも出張の時の装備は極めて軽く、「え?それだけですか?」と言われる(引かれる)ことがしばしばあります。 一二泊の出張なんか3P(パソコン、パンツ、パッション)があれば十分というのが私の持論です。あ、最近はプロテインが追加

          #12 シナイ山で死にかけた話⑦