見出し画像

俳句生活「虹」好き句鑑賞 その1

はじめまして。俳号「いかちゃん」と申します。先日結果発表された、カタログハウス通販生活内の企画、俳句生活「虹」の作品のなかから、特に好き!と思うものについて、鑑賞文を書かせて頂きました。僕の鑑賞のクセで、多分に分析的な文章となってしまっていますが、ご容赦ください。それでは、どうぞ!

夕虹を煮詰めて街の夜に塗る/磐田小

ド都会の句だと思いました。歓楽街。人々は虹の美しさに気付くこともない。灰色の街に現れた「夕虹」の色彩は、どろどろに煮溶かされ、「街の夜」に塗られてネオンの輝きとなるのです。
「塗る」の主語は誰か?神さまのような存在を思っても良いでしょうが、僕は街の人々と読みたいです。都会の人間の活動を通して、反語的に「虹」の儚さを表現した、意欲的な作品でした。

ファックスの祝い連なるるるる虹/一斤染乃

めでたいけど、おかしくて笑える一句。この「るるる」は発明ですね。単なるオノマトペではなく、「ファックス」ですから、印字が上手くいかず実際に文字が重なっているのでしょう。「祝い」を嬉しく思いつつ、ファックスの下手っぴな印字を笑い飛ばす明るさが、最後の「虹」に鮮やかに収斂しています。

摩周湖を見に来て虹を見てゐたり/井納蒼求

「摩周湖」といえば、その見事な透明度と、(実際にはそこまで多くないものの)濃霧のイメージ。せっかく美しい湖水を見に来たのに、霧が出てしまっている。しばし待って、ようやく晴れてきたかと思えば、今度はあまりにも美しい「虹」が出てきて、摩周湖そっちのけで虹に見惚れてしまう。そんな場面を想像しました。
俳句における「見る」は省略したほうが良いことが多いのですが、この句の「見に来て」「見てゐたり」は必要ですね。「見る」ことにこそ感動の中心があり、二度用いることで「美しい摩周湖よりもさらに美しい虹」を際立たせることに成功しています。この辺りの判断も流石だと思いました。

新橋に酒場多くて虹の暮/石井一草

「地名+○○多くて+季語」という構成は、「若狭には仏多くて蒸鰈/森 澄雄」を思い起こします。「若狭」は「蒸鰈」が名物であり、その地方の雰囲気を「仏の多さ」だけで示してみせたという佳句。ひるがえって掲句は、「新橋」という地の特徴を「酒場の多さ」に見出しつつ、「虹」という普遍的な季語に落とし込んでおり、アプローチはだいぶ異なります。先行句の、いわば一種の“型”だけを借りて、また違った面白さを演出しているのが興味深いですね。
助詞「て」の使い方も、森澄雄句では中七からゆるやかに下五の季語へつなげる印象であるのに対し、こちらの句では「やれやれ、新橋はホントに酒場ばっかりだなあ」という呆れのような感情表現に繋がっています。最後の「暮」というもう一押しも、そんな感情をしみじみ包み込んでくれますね。

夕虹や露店に貝のイヤリング/石塚彩楓

静かな句で、特別な何かがある作品と思ったわけではないのですが、描写が丁寧で綺麗で惹かれます。ふらっと訪れた海辺の町。観光地ではあるけれど、そこまで有名でもなく、人はまばら。浜をただなんとなく散策して、日も暮れてきた頃、一軒の露店に出会う。何かお土産のひとつでもと思い、並べられた装飾品を見ていくと、あら、素敵な貝のイヤリングが。なんでもない思い出のようで、それは特別な夏のひとコマ。「虹」は日常のなかにある特別です。

あの虹の根元にぼくがゐて笑ふ/仁和田永

「虹」には幻想的な一面もあります。虹の根元を描く句、特に海面・橋・家があるという句はよく見かけるのですが、「ぼく」がいて、しかも笑っていると言うのです(「笑ふ」の主語が「ぼく」ではない可能性もありますが)。虹に反射して映る虚像か、幽体離脱か、ドッペルゲンガーか、はたまた正真正銘の自分自身か。あるいは、「あの虹」という言い方からして、きっと「ぼく」がいるはずだという想像かもしれません。そうだったらいいな。世の中つらいことばかりだけど、きっと笑っている「ぼく」に会えるときもくるはず。

5限目の因数定理よりも虹/河村静葩

「因数定理」は高校数学ですが、僕自身がそうだったこともあり、中高一貫校の中三生で想像しました。高校受験のない中三というのは、一番気楽で自由で中だるみの時期で、「5限目」ともなれば授業なんて聞く気分じゃないのです。「因数定理」という仰々しい名前だけ耳に入れて、「ふーん」と思いつつ窓の外を見ていると、なんと「虹」が立った!生意気ながら「虹」を見たくなる心は持ち合わせているんですね。賢い子でも、そうでない子でも想像できる句ですが、後者だったら大変だなあ。三次方程式、解けなくなるぞ。

早足で課に持ち帰る虹のこと/かむろ坂喜奈子

語順と言葉の選択が巧みな一句。「早足」という動作で映像を作りつつ読者の興味を集め、「課に持ち帰る」で場所と状況を明示。ここの「課」のたった一音の持つ情報量も多いですね。そして「持ち帰る」のは、弁当か、土産物か、書類か、写真か、仕事か、そのあたりを想像するので、下五で「虹」が出現したときの驚きといったら!この語順で現れる「虹」の鮮やかさがあるからこそ、「〜のこと」というぼかしが効いてくるんですね。曖昧にされたという印象ではなく、どんな虹だったんだろう?と想像をかき立てられます。

その2に続きます!

よろしければサポートお願いします!吟行・句作・鑑賞・取材に大切に使わせていただきます。