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福祉、医療、教育。人に関わる現場

八尾市のAstralBOXに伺い1年が経ちました。
福祉は日々関わる方々の変化を見過ごさないように考え動き続けることになります。
障害福祉に関する国の予算は殆どありません。
欧米は寄付で成り立っている居場所が多いそうですが、日本にはその構造がないそうです。日本文化の歩みとデフレが続いている現状を思えば自分の生活のために必死になるしかない社会である現状に置かれている人々にそのようなことを求めることもできません。
私たち障がい者の生活や命は生産性が無いため優先順位が低いのでしょう。
善意の寄付クラウドファンディングはありますが。
福祉に力を注ぐ現場は経営が苦手というのは変わらずありますが、「人を資本を産む手段とせず、継続するための工夫が求められる」
誠実に活動している福祉現場は本当に大変ですが、私が大転職した初めての現場。吹田の知的障がい者の方々の為の福祉事業所は「できない」と責任を放棄する利己的な人ばかりではなく、助け合う利他的な人が多く感じます。私はこの現場から福祉従事者となり夢を抱き、ここで働きながら精神保健福祉士を目指すために大学に行きました。

その後の現場は『その場を必要とする人々は金を産む手段でありモノでした。人ではなかった…』
人を動かす特権のある人の福祉に対する理解は乏しく、人権擁護とは?合理的配慮とは?人権とは?福祉とは?
虐待が日常化し、活動報告書を詐称して稼ぐ場所ばかりでした。
資格保有者は自分のために利用している利己的な人ばかり。
もう、福祉業界をやめようか…
もう社会参加をやめようか…
働けなくなった14年前、おまけの人生悔いなく生きようと思い、悔いなくいきてきたからこれで終わりでもいいか…
行き詰まりました。

そして私は働き始めた場所を思い出し、戻ることにしました。そして現場、世話人と移動、居宅介護に戻ることにしました。
現場で彼らと関わることで学んだ経験が役に立てばいいなぁと考えました。
彼らから離れて机に向かった作業では福祉資格は有効に使えない。
吹田の場所から夢を持たせてもらい取得した精神保健福祉士を誰かの為に使える場所がなかったのです。どこにも…

戻った現場は忙しく、給料も激安です。
また、10年経てば様々な変化があります。
当時のような状況ではなく、更に大変な状況になっていることはわかっていました。
何故私にはその場所しかなかったのか…
理事長が当事者、重度知的身体障がい者の母であったことも私にとっては大きい。
近いような経験をした者でなければ理解し合えないことがあります。
近いような経験をしたことのない人へ説明することはとても難しい。
家族というピアである理事長は「みんなの笑顔が大好きだから、私は誰になんと言われてもこのやり方を貫きます」と言われました。
笑顔は共に幸せを感じ楽しんでいる時に生まれます。
その根元には「人を大切にする」というものがあるのだと感じます。
そういう場所でしか働けない人がいます。
そういう場所に出会えなければ社会的不利に陥るか、不条理を承知で意味の無い仕事だとわかっていても生活のために諦める人も多くいるのではないでしょうか?

どれも間違いではありません。

私自身も居場所づくりを諦めて、同じ理念を持つ居場所を構えているところに入っていくことにしました。

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