理念と実践(1) 尊敬と信頼の同志「現代人物論 池田大作」小林正巳著(昭和44年9月25日)第17回

友情に生きる同志
 創価学会の“鉄の団結”とは、言い換えるなら師・池田を中心とする同志的結合にほかならない。
 四十四年七月に行なわれた東京都議選にしても、遠くは沖縄、九州、北海道の学会員たちが、東京に居住する非会員の親類や友人への働きかけを通じて一生懸命、東京の同志の戦いを側面から助けた事例を私は多く知っている。自社両党などには到底みられないこうした現象が起こるのも、池田の弟子としての同志愛、同時にそうすることがとりもなおさず共通の目的を達成することにつながるからである。
 「思うに、現代そして未来は一人の英雄の時代ではない。一人の偉人が歴史を動かす時代はもはや過ぎ去った。ともに信じ、ともに啓発してゆく美しい、暖かな心のきずなが、新しい時代をつくっていくのだ。(略)
友情を支えるものは、尊敬と信頼の念であり、どこまでも友を裏切らぬ誠実さである。そして、一つの崇高な理想をめざして、ともに苦難を切り拓いていく勇気である(略)」(創価学会の高等部員の文集「鳳雛」第二巻に掲載された「友情」と題する池田の指導)
 「師弟関係は、実は最高の友情です。戸田先生も弟子たちを同志と呼んでいました」と池田はいう。彼は、友情、同志などについて「人間革命」その他で書いているほか、指導でもしばしば触れている。
「人生において、友人ほど大切なものはないし、また友情ほど美しいものはない」(家庭革命)
 「同志をたがいに結ぶものは、利害や一片の好悪の感情ではない。目に見えざる、しかも最も強き人間性の絆である。それはまた、支配と屈従等の上下関係ではなく、信頼の二字に 貫かれ、共に同じ理想をめざして進む 友と友との堅い契りである」( 青年部文集「革命児」)
 「友情にも世法の友情と仏法の友情がある。世法の友情は深いようで浅い。現実の苦境と 利害にあって、自然に離れてゆく性質を含んでいる。時としては転じて醜い嫉妬にも変り得る。
 …信心、そして主義、主張に生きる同志の友情は、目的達成のために、生命を賭しての擁護があり、励まし合いが存する」(人間革命)

信念を貫く人
 創価学会の役職は、数段階に分かれている。一般社会では、ポストをめぐる不満が起こりがちなものだが、数百万の生きた組織でありながら、ついぞポストをめぐる感情的トラブルなど聞いたことがないのも、そうした池田の指導を反映したものだろう 。
 池田は、こうした同志的結合のなかで、信念を貰き通すことが最も肝心だと考える。学会の若い人たちとの会合の席上で、
「人生の不幸は、悔恨ということだ。思想運動からの転向者は、今栄えていても心の中で一生悔いているに違いない。主義主張を破った人間というものは、そういうものだ。普通の犯罪なら法の網を逃れることもありうるが、良心の呵責、悔恨の責め苦からは絶対に逃れられないものだ」
 さらに四十四年一月、青年幹部たちとの会合で、つぎのようにいっている。
「どんな困難があっても、自分が正しいと思うこと、信念を貫き通すことが大切だ。思想の浅深 、高低を問わず、過去の歴史において、社会主義者であれ、自由主義者であれ、共産主義者であれ、たとえその人が一生貧乏で苦難の連続であっても、その主義主張を生涯貫いた人は、人間として偉いと思う。その反対に、同志を裏切り、自己を裏切って転向した人は、一時は時流にうまく乗って栄えても、心の奥底には、裏切りという大きな傷が死ぬまで残り、その苦しみから免れることはできないものだ」
「諸君の人生、信仰は自由だが、ただ広宣流布を目指す最高の同志として、主義主張に生きてゆくことについてだけは、厳しい態度であってほしい」
世間では創価学会が強い排他性をもっていると批判する向きもある。もちろん狡猾な権力者に対する場合や宗教上の対決の場合は別としても、池田は主義主張をあくまで貫く信念の人に対しては、敬意を惜しまない。

天草四郎の場合
 政治家の人物論を池田と話していたとき、池田が高く評価した人物は、意外に池田の思想とはまったく相入れない思想の持ち主だった。その人物は、いかなる苦難にもめげず、最後まで、自己の主義主張を同志とともに守り抜いてきたからだ。池田から「二十二歳で青年部の役職についたとき、天草四郎というものがわかった」という話を聞いた。天草四郎といえば、キリシタン教徒で、島原の乱(寛永時代)の首魁である。一六三七年、キリシタン教徒に推され、三万七千の信徒を指揮して、籠城九十日、ついに捕えられて斬首されたのだが、思想に殉じた純粋性に共感をよせるからだろう。