理念と実践(6)無血革命の理念(2)「現代人物論 池田大作」小林正巳著(昭和44年9月25日)第23回

戦争否定の声
 広宣流布を目指す精神は、すなわち戦争の否定である。池田二十二歳の頃の日記に、「映画 “きけわだつみのこえ”を地球座にて観る。思うこと多し。戦争は罪悪だ。絶対に避けねばならぬ。真の宗教の必要性を、切実に感ずる」とあり、「人間革命」その他にも戦争非難の言葉を多く綴ってきた。
 「平和と幸福への願いは万民共通の念願である。戦争は断じて行うべきではない。戦争して誰が喜ぶか。誰が幸福か。勝利者も、敗北者もー」(人間革命)
 「平和を叫びながら戦争を準備し、否、平和のための戦争などという愚かな理論が通用する現代の世界は、まさに闇であり、無明である。その根本原因は、人間生命の尊厳に対する無認識であり、少数の、だが重要な位置にある指導者達の愚痴迷妄にあるといわざるをえない」(御義口伝講義)
池田の戦争否定が、人命尊重の宗教的信条に根ざしでいるのは明らかだ。だが、同時に 彼自身、兄を戦争で失った体験を持ち、空襲のなかで女子供が死んでいく悲惨さをみた実感もあるに違いない。だから池田はいう。
 「戦争ほど馬鹿げたことはない」「女性が悪い男にだまされて苦しんでいる姿をみてさえ憤りを感じるのに、いわんや戦争すれば、女性が可愛想だ。戦争否定は戸田先生以来の学会の伝統です。それをファッショといわれたのでは何をかいわんやです。

平和の担い手
 そうした立場から池田は、女性の平和にはたすべき役割を高く評価する。そして「 人類の半分のウエイトを占める女性を政治、社会に目覚めさせることが、遠いようで最も近道だ」という。なぜなら、生命を守り、はぐくみ、いつくしむ女性の本然的役割は、生命を滅ぼし、傷つけかつ破壊しあう戦争とは根本的にあいいれない。つまり女性は、本質的に平和主義者であり、この特質を社会的エネルギーに高めることが、平和運動の力強い推進力になると考えるからだ。
 四十四年の創価学会第一回婦人部総会に対するつぎの池田の寄稿は、婦人の平和にはたすべぎ役割を明瞭に打ち出したものであった。
「女性、特に婦人の特質は平和主義にあるといってよい。子供を育て、幸福な家庭を築くという婦人の最も切実で重要な仕事は、社会、国家、そして世界の平和なくしては、ありえないからである。そうした女性の特質は、物心ついたばかりの子供のころから、すでに明確にあらわれている。
 すなわち、男の子が最も欲しがるものは、剣やビストル、鉄砲などの玩具であり、遊びといえば、戦争ごっこで、撃たれて死ぬ場面など、名優そこのけの迫真の演技を見せてくれる。これに対し、女の子は、人形を我が子に見たてて、いっばしのお母さん気取りで、着せ替えをしたり、おフロに 入れたり、看病するまねをしたりする。
 もとより、多少の例外はあろうが、本質的に男女の特性をいえば、男性は闘争と破壊であり、女性は平和と建設であるといえるように思われる。過去の歴史の最大の悲劇は、こうした女性の平和と建設の特性が、常に男性の闘争と破壊の原理に圧倒され、踏みにじられ、押し殺されて、時代を動かす力となりえなかったことに起因するといえないだろうか。
 私の母も、かつての軍国主義の権力のもとに子供を奪われ、悲しみに打ちひしがれた犠牲者の一人である。おそらく、日本の婦人の大部分が同様の悲しみを体験したはずである。更に、現在もなお、ベトナムの戦線に、我が夫を、我が子を奪われて、悲嘆に暮れている幾多のアメリカの婦人、ベトナムの婦人がいることであろう。
 しかも恐るべき核兵器の登場した今日、戦争と平和の問題は、人類の運命をかけた最大の課題であるといっても過言ではない。
 私は真に崩れざる平和世界の建設という、この人類の悲願を実現するカギは、女性がその自己の特質をいかにして発揮し、社会、国家、更には世界を舞台に生かしていくかにかかっていると断言しておきたい」
 くりかえすまでもないが、信仰上の指導と関連してこう説く池田の影響力は、学会内部では絶対的な重みをもつ。学会員はこの指導を自分たちの指標とし、世界平和の達成を深く心に刻みつけるのである。

会員の平和希求
 東京文化祭が世界平和を大きなテーマとし、フィナーレでは人文字の中に“世界平和” を数か国語で映し出したのはこれを印象づけたものといってよい。私自身、市井の名もない多くの学会員たちが真剣に、福祉国家の建設、世界平和を口にするのをきいている 。
 平和運動といえば、毎年、広島長崎を中心に原水爆禁止をテーマに、人目をひく行進やお祭り騒ぎが行なわれているが、運動目標自体は保守、革新をとわず普遍性をもつものだ。がそれでいてこの運動が多くの心の中に浸透していかないのも、内部のイデオロギー的対立から、主催団体そのものが二分三裂 ,かんじんの“平和”がポヤケてしまったせいだろう。
 その一方で、運動そのものに派手さこそなくとも池田の平和への希求は、七百万世帯の創価学会員の胸中に深く根づこうとしている。ここでは“平和”はイデオロギーの手段ではなくして、イデオロギーの目的そのものなのである 。
 その意味において、池田の指導する運動は、質的にもスケールの点でも、日本における最大の平和運動といってもさしつかえない。