実生活での指導(9)学会員がうけとめるもの「現代人物論 池田大作」小林正巳著(昭和44年9月25日)第37回

教義と指導
 創価学会員のなかには、あらゆる階層が含まれているが、池田の指導を学会員はどう受け止めているのだろうか。
 前にも書いたように、池田の指導の多くは広宣流布、王仏冥合の理念をはじめ、身近な社会生活に至るまで日蓮の教義に直接もとづくか、そうでなくても、その思想を根本として現代に適応させて説く。
 そして、学会員は池田によって日蓮の教義を現実の生活の上で、どうとらえるかを知るのである。
 十七歳の女子高校生は「社会のため、力ある人材になるために日夜、大学受験に勉強を重ね、惰性に流されることのない一日一日を送りたい」と決意し、四十歳の主婦は「普段、ともすると忙しい私は近所づきあいが少ないのを反省した。自分の住む地域社会でだれからも慕われ、 尊敬されるような主婦になっていきたい。そしてそれが大きく広宣流布、王仏冥合を推進する力になるのだ」と確信する。
 また二十歳の会社員(女性)は「近頃座談会でよく話題になるので、政治の動きや社会の動きも吸収し、広く社会を知るため数多くの書物を読まなければならない」と痛感し、二十二歳の会社員(男性)は「 池田会長を生涯の師とする幸せを心から痛感する。 会長の教えを実践し,人間革命の姿を実証して、大きく社会で活躍していくことによって、池田会長の偉大さを示していかなければならない,と前進を誓う。
 さらに、二十六歳の会社員(男性)は「仏法の偉大さ、学会の理念の崇高さに感動した。今までの自分の怠惰な生活から生きがいのある人生を送れるようになった。広宣流布、世界平和達成という最高の目的に向かって戦えるということだけでも、なんとすばらしいこと だろうか」。またレコードで池田の詩の朗読をきいた二十六歳の女子部員は「この確信と勇気は私の心を強くうち、その感激を抑えることができませんでした。私はこの偉大な師匠とともに生涯歩んでいけると思うと本当にうれしい」

知識層を動かす
 もちろん、ひと口に人間革命といったところで、一人一人が,たとえば傲慢や怠惰など、様々な自己の弱点に勝っていくことは容易ではない。とうてい一朝一夕に人間を変えることはむずかしいだろう。だが、ともかく池田の指導は単に言葉だけに終わらず、約一千万の人たちの指針として、自発的に信心上、日常生活上の努力に移されていくのである。それも池田に対する学会員の人間的信頼感と尊敬の念が徹底しているからといってよい。
 ある女優は「 二十四年生きてきて一番うれしいことは人生の師にめぐり会えた、池田会長を知ることができたということです。信心できたのは会長とお会いできたからだといってもいいと恩います」というが、事実、池田を指導者とする誇りが、学会員の信仰を支えているといってもいい過ぎではなさそうだ。
 入信者のなかにはここ数年、知識階級のトップレベルにある大学教授も目立っているが,その人たちも池田に対する気持では一般会員と変わりはない。
 最近入信したA大学のK教授「池田会長は、すべてを、みずからの姿と行動によって我々に教えられるタイプの幅のある指導者だと思います。会長の沖縄指導の映画をみて感激で泣けました。私はこのような指導者のもとにあってこそ、人間として本当の意味で私自身の建設に生きていけるのだと思います。また、教授としても、人間生命の尊厳、人間性尊重という学会の理念をもとに教壇に立てば間違いないという安心感をもって、教育にあたれるようになりました。
 K大学のB講師「各種の会合にでるたびに,人間完成の宗教はこれ以外にないと感銘を深くしています。組絨はやはり生きものですから、その最高指導者の条件は、高い人格の完成と揺るぎない自信をもっている人でなければならない。その点、池田会長は最高のリーダーだと思います。私も池田会長を師匠とする弟子の一人になれたのですから、会長を見習って、自信をもって恥ずかしくない指導者に成長したい」
 B講師は大正四年生まれ、A教授(ママ)の方は明治三十八年生まれで、池田とは親子ほど年齢のヘだたりがある。

会員たちの誇り
 池田のそばにいる最高幹部をみても、初代牧口会長時代からの門下生だった人もあれば 、池田と同じ戸田門下生でも、池田の先輩として、かつて池田の上級幹部であった人たちも少なくない。年齢、入信歴ともに池田より上の人たちだ。
 それでいて、これら幹部も素直に池田を尊敬して師と仰ぐ点で、一般会員と変わるところがない。そのへんが一般の人たちに理解しにくいところだろう。私自身、池田の親のような 年齢の学会員たちが、心から池田を慕う気持がなんとも不思議に思えたこともある。
 そうした私の疑念に 最高幹部の一人は「さきにスタートしても、私たちは落第ばかり。会長とはできが違うんです」と答えたが、その言葉には人間的に遠く及ばないという実感がこめられていた。つまり、年功序列的感覚ではわかりにくいだけで、池田の場合、年齢を超越したものがあるのだ。いずれにしても偉大な指導者,世界の指導者と確信する師をもった学会員は、それだけで幸せな人たちだと、私は思う。