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進学校を中退したらどんな大人になったか③

高校に行かなくなった私は、自室に籠っていることが多くなった。

心配した友達が頻繁にメールをくれて、家に遊びにきてくれることもあった。
中でも後に交際する、元夫のAは特に心配してくれて、よく連絡をくれた。
Aは仲間意識が強く、女友達も多くてみんなの相談役といったポジションだった。私に恋愛的な好意があるとかではなく、純粋に私のことを心配してくれていた。

一方で、家庭環境はどんどん悪化していった。当時は生きた心地がしなかった。

姉も病んでいて、私の目の前で泣きながらリストカットをしていた。姉の手首から滴り落ちる血を、私は静かに泣きながらぼんやり見つめていた。

ある時、母が朝倉の三連水車を見に私を連れ出してくれた。りんごカレーのお店で一緒にランチをした。私はちっとも笑わず、話すこともしなかったけど、ぽつりと母に「私とおってもつまらんかろ」と言った。母は泣いていただろうか。よく覚えていない。

母は私を天神にある精神科に連れて行った。うつ病だった。私は診察室で何も言えずにいたので、なにをもってうつ病と診断されたんだろうと思った。夜の天神を2人で歩いて帰った。

秋ごろ、ようやく両親が離婚した。
自宅は母方の祖母のもので父はマスオさん状態だったので、父一人が出て行くことになった。「子どもはいらない」と言った。
父が泣きながら「ごめんね」と私を抱きしめた。
私は嫌がって泣き叫びながら、父を拒絶した。
謝るくらいなら、どうして事件当時に私と姉のことを思い出して踏みとどまってくれなかったんだろう。
後に私が父を再び受け入れるようになるまで、7年かかった。

母が「子どもなんて産まなきゃよかった」と言った。

大人になった今なら、両親とも私と姉を心から深く愛していたことがわかる。当時の両親は、本当に余裕がなくて辛かったことも。
でも16歳の少女に、そんな状況で親を思いやれる余裕なんてなくて、両親から拒絶されたことにひどく傷ついた。粉々になったガラスがさらにハンマーで叩かれたように、もう心はボロボロだった。

後にも先にも、この頃が人生で一番辛かった。
大人になってからも何度も夢に出てきた。

家族との心の距離は開いていったが、Aとの距離はどんどん縮まっていった。
Aは自宅とは正反対の位置にある私の家を頻繁に訪れ、今日学校であった面白いこと、数学の先生がうざいことなど明るく話してくれた。
一緒にゲームをして、帰りにうちで夕食を食べて帰って行った。

ある日、「明日は調理実習があるから、昼過ぎから学校来てみたら?」と提案してくれた。次の日私が登校したら、Aはとても喜んでくれた。
当時の私にとって、Aは太陽だった。
Aがいなかったら、私はとっくに自殺してしまっていたかもしれない。

高校一年生が終わる頃、単位は足りていたのだが、進むスピードが早い高校の勉強にはもうついていけなくなっていた。
そのため、県内の通信制高校に編入する話が出た。

どうしても入りたかった高校にようやく入れて、友達にも恵まれていたので私は辞めたくなかった。しかし、この精神状態でハードな高校生活をやっていく自信はなかった。

姉が言った「やってもやらんでも、どっちを選んでも後悔する」という言葉を後押しに、私は進学校を中退することにした。

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