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何かを考えるきっかけに!?水島・亀島山地下工場に

私の住むまち・倉敷は、観光地「白壁のまち」として知られる。
倉敷川のほとりに蔵が並ぶ「美観地区」は、地元民でも綺麗な景色として惚れ惚れする。倉敷にはもう一つの顔がある。

「水島コンビナート」

倉敷市の財政から見れば、もう一つの顔ではなく、
こちらが表の顔と言ってもいい。
倉敷市の税収の約3割がコンビナートから。
以前は公害などの問題もあったが、生命線とも言えるコンビナートとは
今も昔も、切っても切り離せない状況にある。

水島灘は以前は、漁場として存在していたらしいが、私が生まれた頃には、
人工的な海岸線が敷かれていた。石油化学工業、製鉄、自動車。
小学校ではコンビナートについて学び、多くの人がそこで働いた。
まちには三菱自動車の車ばかりが走っていた。

他所から来た大企業に支えれる倉敷は、日本の縮図とも言える。
徐々に衰退をし、水島のまちはその影響を受け、人口は減る。
でも、もう後戻りはできない。日本の縮図。

軍事基地だったコンビナート

コンビナートは戦時中、飛行機を作っていた。
三菱重工業水島航空機製作所では、海軍機専用製作所として
一式陸上攻撃機、紫電二一型を作っていたらしい。
戦時中、ここで人を殺すための兵器を作っていたということになる。
一方で、この飛行機に乗った人たちは帰ってはこないという現実もあり、
戦争の悲惨さばかりが目に付くが、日本の軍事費とあげるとか、
敵地を攻撃できるミサイルを配備するなどときな臭い報道が増えてきた今、
本当に我々は何を知っておくべきなのかを考えさせられる。

亀のような亀島山

水島エリアは、干拓地。
以前は海だった。亀島というように島だった。
他に近くに島がない。ポツリとしているからこそ、
亀の形がはっきりわかる。

ここしかない山は、隠れるために作られた。
山には防空壕、人が空襲から逃れるための穴を掘った。
ここは、隠れて作業をするために掘られた。
地下工場の跡を見学させてもらった。
地下工場と言っても、実際は終戦間際であったため、
ごく一部の作業ができただけだった。

悲惨な過去と向き合う

悲惨な過去とは、目を背け「仕方ない」と片付けることが多い。
まずは、この地下工場は、朝鮮人たちが掘削したということ。
言葉には気をつけたいが、「掘削した」より「掘削させられた」の方が正しいように思える。

地下工場跡に入ってみると、暗く少しひんやりしていて、いつ崩落してくるかわからないという恐怖がずっと隣にある。
閉塞感と絶望感をじわじわと身体に感じる時間だった。

もう一つの悲惨な過去とは、飛行機(ここでは戦闘機)を作るのは、10代の子どもだった。こちらも望んで集まった子でないことは容易に想像できるはず。
子どもが働かされることに、憤りを感じる。
それ以上にその作業は、人を殺すための作業であるということ。

戦争遺産

戦争遺産とは何か?
亀島山の地下工場についても、保存会や語り継ぐ会がある。
戦争という危機を今、すぐそこに感じる中、考えるべきは
亀島山を「戦争を考えるきっかけ」としてはいけない。
きっかけではなく、「戦争をしない・させない」につなげなければ。

戦争は誰かが止めている

多くの人はいう「戦争はしてはいけない」
考えるきっかけになりました。
「戦争をしてはいけない」は、亀島山を知る前から知っている。
きっかけはこれまでもあった。
でも、戦争は世界中で終わっていない。
そして、今、日本でも戦争が起きようとしている。
いや、起きてもおかしくない状況がある。

戦争は政治

戦争をやるぞ!は誰が決めているか。
それは政治。政治は誰のものなのか。
国民。我々のことだ。
我々は「戦争しない」「政府に戦争をさせない」という
意志を持って行動することが、戦争を止めるということ。

亀島山を「戦争をさせない」共通のキーワードに

では何ができるのか。
もう亀島山はいらない。
2度と亀島山を作らせない。
シンボルとしての亀島山を水島、倉敷の人の心に刻み込む。
まずはそこから始まる。

人はなぜ、人を殺すのか

非常に難しい問いではあるが、日本人的考え方でいえば、
そこに兵器があるから。軍事というツールがあるから。
広島・長崎という世界で最も悲惨な場所がある日本は、
アメリカのように銃を持てる社会にはしなかったし、
自衛隊という名の軍備も相手を攻撃しないという縛りをずっとつけてきた。
もちろん、その背景にはアメリカの軍事施設を強要されながらではあったが、守り続けてきたものがあった。

今、破綻を見せようとしている。
手に銃を持った時、我々は人を殺さずにいられるのは、
強い強い意志でしかない。
むやみ人を殺す人はいないだろう。
傷つけられたり、そうさせられるという恐怖に陥った時、
引き金を引いてしまうこと想像できる。
その後の悲惨さを想像できていたとしても。

これは政治批判ではない。
「思考停止」批判である。
私を含めた全倉敷市民は「思考停止」になってはいけない。
「亀島山」はそう語ってくれた。

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