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UTOPIA#12 憤怒


 大小様々な人の社会において、敵対的存在を一時的に鎮めかつ食い扶持を減らすため、人身御供が盛んに行われるようになった。常のようにある小さな国では、一人の青年が選ばれた。   

 彼は自分の役割に納得していた。子供の頃から我儘を言った事がない、心根の穏やかな男だった。両親や町の人々に最後の別れを告げると、意を決して山の奥に潜む溶融する獣の元へ向かった。

  山を登る最中、彼は胸中に熱いものが宿るのを感じた。自分の犠牲が彼らを守る、そういった使命感とそれを成し遂げられる満足感であった。無論恐怖も確かにそこにある。だが引き返そうとは思えなかった。

  険しい獣道を越えて、熱風の吹き荒れる洞穴を通り、闇の奥で彼は溶融する獣を発見した。獣を視認できる距離に入ると、余りの熱に不用意に息を吸い込むだけで喉が灼け、目を開けていられなかった。それが口のような器官を開く。彼は使命を抱いて、贄となるため突き進む。熱い。耐え難い熱。痛み。激痛。立っていられない。間違えた。やはり引き返さなくては。どちらが出口だ。痛い。老いた両親の深く刻まれた皺。痛い。熱い。どこにも逃げ場がない。生家が垣間見える。それが燃える。苦しい。質量のある硬いもの同士が擦れ合う不気味な音。死の気配。どうして俺が。

「誰一人として君を愛してなどいなかったよ」

 酷く嗄れた冷たい声がした。再び両親の顔が見える。幼い頃から苦楽を共にした町の人々もそこにいる。みなの顔も声も癖も知っていた筈なのに、ずっと見ていたのに、どうにもしっくりこない。そして気付いた。

「そう。君は初めから贄として育てられた。敵国の捕虜の子供だ。私に喰わせるために拵えられた身代わり人形だ。君は穢れとして扱われていた。誰とも揉めたことがなかっただろう。なにせ薄汚いと思われていたからね。穢れと接触するとよくないものが蔓延すると彼らは信じているから、君は誰とも深く関わった事がない。両親が一度だって触れたか?微笑みかけたか?叱った事があるか?よく思い出せ、無いだろう。君の世界は狭い子供部屋で完結している。そこで一八歳まで育てられた。彼らは実に上手くやった。洗脳という手法だな。ところで、本当の親はとても酷い死に方をしたね。そろそろ思い出せるだろうか」

あれ程熱く痛かったのに彼はもう何も感じなかった。時が静止したかのようだった。そして、耳を劈く女の絶叫が、頭の一番奥から映像と共に氾濫し

「ようこそ、憤怒の王よ。君は私と申し合わせるに相応しい」

獣が贄を飲み込み、互いの体液が内側で行き交う。そうして申し合わせは完了した。


 憤怒。憤怒。憤怒。憤怒。憤怒。憤怒。憤怒。憤怒。憤怒の王は、山を降りた。

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