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私は何者か、321


桜が咲いて咲いて咲いている。姿良し。ソメイヨシノも山桜も良い。街中の桜並木をトリミングするように咲く雪柳の白は真実の真白。何もかもが一度に、有頂天。になってはいけない。風が頗る心地良し。寒くないところ、そして暑くないところが、特に良い。つまりは快適なのだ。私の快適は私の感じるものであり、私が選んだわけではなく、拵えたものでもない。どれくらい快適かは、置かれた、その、在る場所によって違うのである。全ての人に平等のはずの今日が静かに平穏に過ぎますよう。
夕餉。ノドグロの塩焼き、大根おろしとちりめんじゃこ、卯の花、ベビーリーフ、カマンベールチーズ、ご飯。今夜の献立はヘルシーである。彼は、私の手づくり卯の花を三度もお代わりした。これは、賞賛なのか、忖度なのか、腹ペコなのか、なんだなんだ、とにかく美味いに違いなし。maybe。
さよならはそこら辺にふらふらと、ゾンビみたいにふらついていて、ヘイ!ジャクソン、続きを歌ってくれよ。そうだ、死んだからといってさよならと言うわけではない。坂本龍一氏が亡くなったと。でも、そもそも、会ったこともない人。さよならと言うよりは、更に崇高。
さよならはもっと生々しい。引っ張れば痛み、延ばせば苦しみ、断言すればその感覚さえ遠ざかる。
ひとは長い年月をかけ、たくさんのことを学ぶ。怒りではなく忍耐を。喜びではなく奉仕を。楽を微笑み、苦を黙って受け入れる。ここにあることの普遍を音を奏でるように記すこと。
何も知らないし、わからない。それは本当であるが、もし、必要とされるなら、そこにあることの我たる我を抱こう。誰も必要ではない我のなかに我以外を招くことではなく、我を我たるここにあることの幸せを感じ、ゆく。その場所へ。
ビールを飲んで、彼はソファで眠る。我の我たるnoteは、我を救い、我を生かす。


月は次第に膨らんで、マリアか。ヨセフよ、わたしは、ごめんなさい、無神論者であるというのに。


考えていることは、誰かを救えるか。いや、何も、まずは、己を救済し、顔を上げよう。


1キロ体重が減って、1キロ体重が増えた。


さよならした人たちに1キロプレゼントした。


新しき人を迎えるために、ご飯をお代わりしたよ。


誰も、生きているのである。


めぐりあわせ。とか。苦しみか。喜びの。


私は何者か。



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