雷がダメで就職に響いている話。

子供の頃から聴覚過敏を持っている。
それがちゃんと認められたのは、去年のことだ。
私は昨年、ASD傾向ありという診断がついた。
その中でも特に感覚過敏が強く。
さらにその中でも、聴覚過敏に昔から苦しめられてきた。
大きな音は基本的に全てダメだが、その中でも特に破裂音と突発的な大きな音は心臓がバクバクする。
子供の頃からの苦しみがアラサーにしてあらわになった。




耐えられない音の具体例としては
雷・打ち上げ花火・風船・運動会などのスターターピストル・クラクション・突然の大声や叫び声など。
ちょっと、変化球的なところではホームにいて電車が通り過ぎる瞬間も苦手である。


子供の頃は運動会の練習でピストルで大泣きし、自分の走る番だけホイッスルに変更してもらう羽目になり。
風船を持っている子供を電車で見かけて、無邪気に触るその姿を見て「風船が割れるかもしれない」という不安で車両を変え。
打ち上げ花火にビビって耳を塞げば、自分より小さい子たちに笑われたり励まされたり。
思い出せば、そんな情けない悲しい話しかない。


つい最近も、乗り合わせたバスで子供たちがはしゃいでいて。
その声に耐えられず途中下車して目的地まで歩くなどしている。

 

この中でも特にダメなのが雷である。
子供の頃からずっと苦労している。
「大人になれば慣れる」と言われ、その言葉に賭けていた。
しかし、1度かなり近くに落ちた音を聞いてしまい慣れるどころか、遠い雷で光が見えたりするだけでも落ち着かない状態が続いている。
それどころか、雷が鳴り出すと冷や汗や動悸などで体調をみるみる崩すようになってしまった。
ここ数年はさらに酷く。
「大気の状態が不安定」などの言葉を聞いただけでも気分が落ち込んでしまう。
当日は起きた瞬間から、30分ごとに天気予報アプリで雨雲レーダーとにらめっこが続き。
SNSの投稿で現状を知るなど、備えに備えてなんにも手につかない有様だ。


雷が鳴っている時は、イヤーマフの下にイヤホンを着けて音楽で雷鳴をかき消して光を見ないように布団を被って過ごす。
これでも常に不安で仕方がないので、長期戦になりそうな時は抗不安薬の力で凌いでいる。
ここから分かる通り、何も出来ないのである。


ここで、「音楽は大音量で聞いて大丈夫なのか」と矛盾を指摘したくなる人がいるかもしれない。
結論から言うと、音楽のおかげで雷の恐怖を耐えられているのである。
・怖いのは突発的な雷鳴なので、それをかき消せれば良い。
・好きなアーティストの曲なので、幾分精神的に安定する。
・イヤホン自体が耳を塞いでくれるので、耳栓と同じような効果がある。

この3点から、音楽を聞くというのは私にとって必須の雷対策なのである。
ただ、大きな音量で音楽を聞いてるのも本当は聴覚にはストレスがかかっている。
『雷の音を聞くよりは慣れ親しんだ音楽のほうが遥かにマシ』という表現が適している。
個人的には、WANIMAやマキシマム・ザ・ホルモンなどのロックやメタル系は非常に効果的である。
WALKMANに本当に命を救われていると言っても過言では無い。



子供の頃から周りに理解して貰えず。
学校でも授業中に雷が鳴っても私だけが怖がっており、よく周りに笑われた。
でも、子供のうちはまだ良かった。
問題は大人になってからである。
上記のような状態なので、私は雷の音が聞こえたり光が見えるところでは仕事が出来ない。
本当になんにも手につかないのだ。
大人の社会ではそんなの許してはくれなかった。
それが原因で実際、いくつか落とされている。
当たり前と言えば当たり前だ。
こんな扱いのわからない奴を採用はしないだろう。
私が職探しを諦めていたのは、このどうしようもない雷の恐怖もあった。


こちらとしてもどうしようもない。
私だって、こんなの持って生まれたかったわけではない。
望まないものを持って生まれてしまったけど、それでも生きていかなければならないのだ。
私の世界では雷は殺人鬼だ。
ずっとウロウロと雷が鳴り続けている間、本当に音に殺されてしまうかもしれないという程の強い不安に襲われている。
打ち上げ花火のように「このくらいの音がするだろう」という、予測も立てられないのが余計に厄介である。
長い音で、大きさに波がついてることもある。
音が怖くて耐えられない世界で生きているというのはそういうことだ。


最近は『合理的配慮』なんていう、本当にどうしようも無い事情を説明し理解を得て、折り合いをつけるよう努力をしてくれる動きもある。
だけど、そういう進んだ理解をしてくれる企業というのはまだ少ない。
特に私の住むような田舎では、なかなか価値観が変わるのに時間を要するのが現状だ。



私と同じように悩む人は一体どうやってこの世界で生きているのだろう。
私の身の回りには同じ悩みを持つ人がいない。
助けて欲しいと声を上げようにも、手を差し伸べてくれる人を私はまだ見つけられず、孤独が続いている。

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