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No.561 よねたまえ!

『徒然草』の作者・吉田兼好(1283頃~1350頃)は、彼と共に当時の和歌の四天王とうたわれた頓阿(1287~1372)と朋友関係が強かったようです。そのことが知られる歌を、頓阿の家集『続草庵集』(巻第四)の中に見ることができます。

 「世中しづかならざりし比、兼好が本より、よねたまへ、ぜにもほしとい ふことを、くつかぶりにおきて
538 よもすずし ねざめのかりほ た枕も ま袖も秋に へだてなきかぜ
   返し、よねはなし、ぜにすこし
539 よるもうし ねたくわがせこ はてはこず なほざりにだに しばしとひませ」

兼好法師が、友人頓阿に宛てた歌は、
「夜もすっかり涼しくなり、粗末な住まいで手を枕の代わりにし、着物の袖を布団代わりにする貧しい生活なので、秋風の寒さを凌げないでいます。」
頓阿から届いた返歌には、
「一晩じゅう待ったのに、結局来てくれませんでしたね。ほんの少しだけでも来てほしかったのに。」
と書いてありました。

本文の詞書(ことばがき)にある「くつかぶり(沓冠)」とは、和歌の技法の一種で、「ある語を、各句の初めと終わりに、一音ずつ計十音を詠み込んだもの」です。すでに詞書きの中で謎解きをしてしまっているので、面白みが半減していますが、

(兼好の贈歌)  (頓阿の返歌)
↓よもすすし↑   ↓よるもうし↑
↓ねさめのかりほ↑ ↓ねたくわかせこ↑
↓たまくらも↑   ↓はてはこす↑
↓まそてのあきに↑ ↓なほさりにたに↑
↓ヘたてなきかせ↑ ↓しはしとひませ↑
 
という訳で、兼好が「米賜へ」「銭も欲し」と謎掛けしたところ、ユーモアを理解した頓阿は、「米は無し」「銭少し」と言って切り返したものです。知的な歌の応酬・ゲームです。今から670年ほども前の二人の信頼関係が歌となっており、互いにほくそ笑む表情が思い浮かぶようです。

前置きが長くなってしまいましたが、その「米」の続きのお話です。
「ごはん」と言っても、カレーライス、丼物、チャーハン、おむすび、お寿司、お茶漬け、おかゆ、そのほか、いろんな食べ方があります。昔は、「乾飯(かれいい)」などという携帯用の干した飯もあったようですし、私が子どもの頃は「焼き米(やっこめ)」などもありました。
 
「米を使った菓子」として、団子、饅頭、白玉、餅、煎餅、あられ、かりんとう、甘酒、羊羹、米粉のパン、子どもの頃に実演販売してくれた「ポッコン菓子」なども忘れられません。
 
「米の調味料」として、味噌、醤油、酢、みりん、そのほかがあります。
 
「米ぬか」は、タケノコのアク抜きに用いられたり、ビタミンやミネラルなどの美容成分を活かしたスキンケア用品などにも活用されたりしています。子どもの頃は「米ぬか雑巾」で校舎の床磨きをしたことも懐かしく思い出されます。
 
口に入れても害がないという観点から、幼児のためのクレヨンや積み木などにも米が使われていることを知りました。
 
また、稲わらや茎を使って、畳表、草鞋、藁葺き屋根、縄を作ることができますし、土塀や肥料にまですることもできます。

このように、米にまつわる波及効果の大きさには、計り知れないものがありますす。もし、米が無かったら、日本の文化はどうなっていたでしょう?

米を作るためには、多くの水が必要になります。雨や水は、自然が与えてくれる資源ですが、異常気象の為か、毎年のように豪雨による災害が報告されています。恵みの雨として、幸せをもたらしてくれる一年でありますようにと祈るばかりです。米たまえ!