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No.1023 吾は、母の子。

85歳で鬼籍に入った母ですが、古希を3年過ぎた頃に、転んで膝を痛めたことがあります。
 
田舎の実家は、母一人、犬一匹だけの生活です。中型犬でしたが、マッチョな雄犬です。母は、同じくらいの犬年齢の彼を「相棒」と呼んでいました。この相棒は、体内時間が恐ろしく正確で、食事の時間になると「ワンワン!(飯よこせ、飯食わせ!)」と吠え続けます。茶碗を叩かないだけまだマシですが、腹に据えかねた母は、いつも
「ああ、もう、しゃーしーなあ!あんたには、一番先にあげたろがえ!」
(ああ、もう、うるさいねえ!お前には、一番先にご飯をあげたでしょ!)
と壊れたレコードのように、毎日叱りつけます。犬が既に食べたことを忘れていたのか?母が餌をやることを忘れていながら、そう言っていたのか?
 
でも、毎日の相棒との散歩は欠かさない母でした。一人では散歩しなくても、相棒がいれば話し相手にもなるし、外に出れば体も気持ちよかっただろうと思われます。何より、足腰の運動になりました。田舎道ですが、出逢った村人との会話も弾んだことでしょう。
 
ところが、ある日、相棒との散歩途中、いきなり走り出したムキムキマンの犬にリードを引っ張られ、反射的に強く握った母は前のめりに転び、膝を強打してしまったのです。
 
「お母さん、リードをぱっと離せばよかったね!」
と言っても後の祭りです。私も愛犬チョコとの散歩で気づかされたのですが、犬が急に走り出したら、思わずリードの手に力が入り、却って強く握ってしまいます。走り始めて、リードを離すことに気が付くのです。母には、そんな余裕はありませんでした。
 
そんなわけで、何かと不自由な事が多く、つかまり立ちしながら足を引きずる母の為に、ひと月に何度も里帰りして、可能な限り手伝いをしました。
 
日ごろから健康な母で、入院した記憶がありません。血圧が高かったからか、首の後ろや頭が痛いと言う事はよくありましたが、富山の置き薬を飲んで凌いでおりました。農作業や家事もしっかりこなしていました。

我々子どもたち3人は、それぞれが家庭を持ってからも、そんな母のお陰で少しも心配することなく自分たちの生活に集中できました。これまで大過なく大病なく過ごしてこられたこと自体、本当に有り難い事でした。
 
しかし、70代を過ぎてから、めっきり足腰が弱くなり始めました。また、
「頭が、どげかなりよるごたる。」
(頭の中が、どんなにかなって行くみたい。)
と不安を隠さなくなりました。

記憶力が衰え始めたことをそれとなく言うと、
「あんたも私んごと年取っちみよ、私ん言いよることがすぐわかるわえ。」
(お前も私みたいに歳とったら、私の言っていることがすぐに分かるようになるさ。)
と耳にタコが出来るくらい言われてきました。
 
当たり前にできたこと、何ごともなくやれた時代が、いかに有り難い事であったかを思い知らされる膝の怪我でした。当たり前であることの幸せな時間は、空気のような存在で、なかなか気づきにくいものですね。
 
母は、私の手料理も好き嫌い言わずに食べてくれました。胃も丈夫に出来ていました。私は、間違いなく母の子です。


※画像は、クリエイター・おさるの写真家さんの八木山動物公園のニホンザルの1葉です。その説明に、
「授乳中に片方の乳を準備する母親。愛を感じられるシーンです。」
とあり、何かグッと来てしまいました。心よりお礼申し上げます。