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No.1094 ゆかしい気持ち

過日の期末考査の「言語文化」の試験の1問に「月の異名」を出題しました。その「十二月」の答えに、1人だけ「師走」とせずに「極月」(ごくげつ)とした生徒がいて、予想を裏切られました。
 
「しはす」の語源には、
「師走」(お坊さんがお経をあげるために忙しく走り回る月だから)
「四極」(四季の終わりで、「しはつ」だから)
「年果つ」(1年の最後の月で、その「としはつ」の訛りから)
「為果つ」(1年の仕事をやり終える「しはつ」月の意味から)
ほか、いくつか見られます。1年の最後の月で「極月」の名は十分説得力があります。
 
さて、今年を振り返る1字は「税」に決まりました。私の中では「翔」の1字が捨てがたく、彼の活躍にとどまらず、期待感や夢が感じられる12画だと思い描くからです。
 
今年は、どんな年でしたか?私は、2つのことが強く印象に残っています。
1つ目は、愛犬チョコが虹の橋を渡って行ってしまい、淋しい年になったことです。
5月8日の午前0時直前の事でした。15歳と言えば、中学3年生と同年齢。犬年齢は70歳を超えていますが、生後50日から15年間我が家で育ててきたので、思い入れもひとしおです。
 
二人の子どものたち結婚も、3人の孫たちの誕生も、感動を共にした「うい相棒」です。散歩の足を奪われてしまった私は、その回数がグッと少なくなりました。画像は、えらしいチョコの在りし日(5歳)の「父ちゃん、散歩行こうよ!」の目をしたso cuteな1葉です。ちょっと剛毛です。
 
2つ目は、1人の少女のお話です。
私は、10年前に60歳で定年退職しました。その3年後に非常勤講師として再び古巣で勤め始め、今年で7年になります。40年間教壇に立っているわけですが、今年初めてとなる得難い体験しているところなのです。
 
中学2年生の「道徳」を週1回担当していますが、授業前の休み時間に必ずやってきて、
「本日もよろしくお願いします!」
と言ってきちんと礼をして教室に戻ります。授業が終わると、
「今日もありがとうございました!」
とわざわざ丁寧に言いに来て、美しいお辞儀をするのです。先日の今年最後の授業では、
「良い年をお迎えください!」
の一言を付け加えることも忘れませんでした。
 
14歳の少女が、道徳の授業のたびに、わざわざそう言いに来てくれるのです。クラス役員でも教科担任のお手伝いさんでもなさそうです。40年間勤めていて初めてのことで、古希の爺さんの心を鷲掴みされてしまいました。
 
その一言だけを言いに来るのですが、授業の前の心、授業の後の心がその一言に感じられることもあり、私自身の授業の出来具合を知る意味でもありがたい振る舞いなのです。何が彼女をそうさせるのか、聞いたことはありませんが、ゆかしさが増します。
 
続けることによってしか見えない物、出逢いや考えさせられることがあります。「道徳」は授業としてよりも、すべての教科担当者やクラス担任や部活動の先生方、またご家族や地域の大人たちが、それぞれの経験をもとに子供たちを育む心の教育だと私は思っています。しかし、こんなうれしい若者の気持ちに出合えて、私の心の方が洗われるのを覚えるのです。
 
今年の仕事をやり終えた「為果つ」(しはつ)の月もあと半分ほど。初めて感じる、しみじみとした「切なさ」と「嬉しさ」を抱いて、新たな年を迎えます。