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No.807 或るお婆さんの涙

高校生の視点と感性に、大いに唸らせられることがあります。
 
昭和64年(1989年)1月7日、午前6時33分、昭和天皇は皇居吹上御所において87歳をもって崩御されました。同日、その10時間後の14時36分、小渕恵三官房長官が、記者会見室で「平成」と墨書された二文字を掲げて宣言しました。
「新しい元号は『へいせい』であります。」
 
その49日後の平成元年(1989年)2月24日、大喪の礼(日本の天皇又は上皇の国葬)が新宿御苑において国事行為たる儀式として厳かに粛々と行われました。
 
1990年、第4回「現代学生百人一首」(東洋大学)には15,779首が寄せられ、100首が入選しました。その中の一首に、
「大喪の画面に見入り泣く祖母は我の知らない満州の若妻(つま)」
という埼玉県の高校3年生女子の作品がありました。
 
大戦も終戦も満州で迎えたのであろう若妻が、今や女子高生のお婆ちゃんです。天皇を仰ぎ、国のために家族のために、新天地として満州に赴いたものの、大きな試練や代償が待ち受けていたことは歴史が証明しています。若かりし頃の人生のすべてを捧げたと言ってよい老婆の昭和天皇への涙は、何を思っての涙であり、どんな色をしていたのでしょうか。
 
同じ入賞作品の中には、こんな句もありました。
「父と見たテレビの中の即位の礼昔にもどった平安絵巻」
茨城県の高校3年生女子が親子で見たのは、昭和天皇崩御の後、1年の喪に服された新天皇が、1990年11月12日に催された「即位礼正殿の儀」のことをいうでしょう。新世紀に至り、AIが世界を席巻して共通語となり、宇宙への熾烈な進出競争が繰り広げられている中、日本では、平安絵巻のような即位の礼が厳粛な中にも華やかさをたたえながら行われました。タイムトラベルしたかのような女子高生の前で繰り広げられる眼前の動く絵巻に、不思議な感動を覚えた歌でしょうか。その日の日本人の心が写されています。
 
現実世界を踏まえながら、歴史的な時間空間を超えたような世界を垣間見ている若者の視点は、文化や歴史を形作った日本というものをみごとに一語で言い当てています。世界に向けて発信した画像の一枚を切り取った若者の目と心に惚れ惚れしてしまうのです。


※画像は、クリエイター・wild orangeさんの、タイトル「米津玄師のラブソング徹底分析<Pale Blue>はどうだ?」をかたじけなくしました。鳩のカップルは、まさに平和の象徴です。飛び交う日本、飛び交う世界であれと祈ります。お礼申します。