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No.626  虎は死して皮を残す、人は死んで…

説話集『十訓抄』の執筆は、1252年(建長4年)10月半ばだったと言いますから、鎌倉時代中頃の成立です。文字通り十の教訓を具体的に示し280もの説話を集めたユニークな作品と言われています。
 
その中の「第四 人の上を誡むべき事」(人のことについて気を付ける事)の最初の話として、「行基菩薩遺誡」(行基から弟子への教え)があります。行基(668~749年)は、飛鳥時代から奈良時代にかけて活動した日本の高名な僧です。
 
「行基菩薩、菅原寺の東南院にして、終りをとり給ひける時、弟子どもに教へいましめていはく、
口の虎は身を破る、舌の剣は命をたつ。
口を鼻のごとくにすれば、後あやまつことなし。
虎は死して皮を残す、人は死して名を残す。
これを書きとどめて、かの遺言と名づけて、今に伝ふ。」
(行基菩薩が菅原寺の東南院でお亡くなりになった時、弟子たちにこう教戒なさった。
迂闊なことを口にすれば、身を滅ぼし、つまらぬ言葉を舌にのせれば命を失う。
口を鼻の様にして無駄な事を言わずにおれば、身を損なう様な事はない。
猛獣の虎は、死んでもその皮を珍重される。立派な人は、死んでもその誉ある名を残す。
この言葉を書きとどめて『行基菩薩遺誡』と名づけ、今の世に伝えている。)
 
この話は、藤原俊成が式子内親王に奉ったという歌学書『古来風体抄』にも見られ、鎌倉時代初頭(1197年~1201年)に、はすでに有名な話として人々の口に上っていたと思われます。そして、行基が亡くなる749年に弟子たちに語ったのが奈良時代の半ばだという事を考えると、私たちがよく知っている
「虎は死して皮を残す、人は死して名を残す。」
のことわざは、1270年以上の歴史を持っていることになります。
 
虎の皮は、その美しさのゆえに古くから大変珍重され、すでに飛鳥時代に新羅からその皮が貢上されていたということです。虎は、その美しさから長い受難の歴史を刻んでいるのです。
 
「金を残すは三流、名を残すは二流、人を残すは一流」
これは、2020年に亡くなった元プロ野球選手で監督も務めた野村克也氏の座右の銘として有名な言葉です。
「名を残すよりも、人を残す(育てる)ことが大事だ]
という教えだと思います。

しかし、これは明治から昭和初期にかけて活躍した政治家の後藤新平が三島通陽に遺したという、
「財を遺すは下 事業を遺すは中 人を遺すは上なり」
の文句を、野村監督自身が咀嚼して言い換えたもののようです。
 
後藤新平が言いたかったのは、
「財産を残すだけでは散財の恐れがある。取り組むべき事業を後世に残したとしても優秀な人材を育てなければ成功しない。優秀な人材を育てる者が一番なのだ」
ということでしょうか。会社経営の極意のような戒めです。
 
名を残す以上に大切なことは、広い意味での教育かもしれません。家庭にあって、親が子を教え導くことも、会社にあって、上司が部下を教え導くことも、習い事にあって、師匠が弟子を教え導くことも、社会にあって、地域の先輩たちが後輩を教え導くことも、国にあって、為政者が民を教え導くことも、みな同義でしょう。

教育は、共育なのだと…。

※画像は、教育専門家/田中大一/タナカタイチさんのインドで撮った教育の一葉を紹介させて頂きました。子供たちの集中している目が印象的です。