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No.1074 やらレター!

先ずは、作品をご一読ください。

2022年          
第30回一筆啓上賞 日本一短い手紙
「挑戦・チャレンジ」 入賞作より

「2歳の息子」へ
一人でズボン履こうと挑戦する君。
 「ママ手伝わないで」と言うけど、
 それTシャツよ?
(新潟県 女性 32歳)
 
 
「運転を卒業する母」へ
俺も卒煙します。
 消臭剤も新品に。
 いつでも配車、御用命下さい。
(長野県 男性 40歳)

2021年
第29回一筆啓上賞 日本一短い手紙
「こころ」 入賞作より

 「お母さん」へ
心ってどこにあるのかな?
この前、弟に聞いたら、
 「弁当箱の中じゃね?」って言ってた
(千葉県 女子 15歳)
 
 
「乳がんで無くした右胸」へ
君がいなくなった跡地には、
ちょっぴり強くなった心が住んでいます。
(大阪府 女性 35歳)
 
 
 2020年
第28回一筆啓上賞 日本一短い手紙
「笑顔」 入賞作より

「自分」へ
説教中、親を笑顔で見つめたら
もっと怒られました。
もう私は天使ではないようです。
(神奈川県 男子 15歳)
 
 
「夫」へ
結婚式で白無垢綿帽子の私に、
満面の笑みで「リアルオバQ」
って言ったの忘れないから
(新潟県 女性 49歳)
 
 
「こどもたち」へ
迷ったら、
笑顔がうまれる方へ、
進んで下さい。
(栃木県 女性 52歳)
 
 
「おかさん」へ
手紙読むのが楽しみと笑顔見せ
言うてくれたけ、切手十枚また買うた。
途中で逝くなや。
(岩手県 男性 63歳)

ご覧いただいた「一筆啓上賞」は、丸岡城(福井県坂井市丸岡町)に「日本一短い手紙文」があることを全国に知ってもらい、活字やメールでは伝わらない手紙文化の復権を目指す目的で、全国初の手紙のコンクールとして1993年(平成5年)に始まったそうです。
 
その「日本一短い手紙文」とは、徳川家康の功臣・本多作左衛門重次(1529年~1596年)が、1575年(天正3年)の長篠の戦の陣中から妻にあてて書いた手紙とされ、もとは、
「一筆申す 火の用心 お仙痩さすな 馬肥やせ かしく」
とあったものが、いつしか
「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」
と変わったそうです。その短文は、起承転結の見本、簡潔明瞭の手本と言われてきました。
 
この手紙文の中に出てくる「お仙」とは、本多重次の嫡男・成重(1571年~1647年)のことで、幼名を仙千代といいました。後の越前丸岡藩の初代藩主となった人物です。
 
「一筆啓上賞」は、丸岡文化財団(公益財団法人)が始めた「日本一短い手紙」という志あるコンクールです。短くて、心に沁みるお話、心が痛むお話、心が温かくなるお話の宝箱がそこにはああります。我がコラムにおいでくださったように、「一筆啓上賞」のページをご訪問下さいますよう。
 
今から30年前の1993年(平成5年)に始まった「第1回一筆啓上賞 日本一短い『母』への手紙」の入賞作品数編を紹介して今日のお話を終わります。

お母さん、
ぼくの机のひき出しの中にできた湖を
のぞかないで下さい。
(福井県 男子 11歳)

絹さやの筋をとっていたら
無性に母に会いたくなった。
母さんどうしてますか。
(東京都 女性 31歳)

お母さん、
雪の降る夜に私を生んで下さってありがとう。
もうすぐ雪ですね。
(大阪府 男性 51歳)