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かつて2社が運行していたコザ線

かつて沖縄県に存在したコザ市は、1974年に隣接する美里村と合併し沖縄市となったが、現在でも「コザ十字路」や「コザ高校」などとして「コザ」の名は残っている。
この「コザ」を冠した路線が、かつて東陽バスと那覇交通によって運行されていた。ただし、2社のコザ線の運行期間は連続しておらず、運行ルートもまったく異なるものであった。


初代コザ線は東陽バスにより運行を開始

初代コザ線は、与那原町の東陽バス与那原営業所と、コザ市(現在の沖縄市)のコザ十字路を、現在の国道329号経由で結ぶ、東陽バスのバス路線として運行を開始した。運行開始は下記の新聞記事により1959年11月と想定される。

東陽バス申請の与那原-コザ線が10月31日付で認可になった。与那原を起点に西原、津波、奥間、泊、熱田、渡口、高原、コザ間を4台で1日34回運行する。
 (中略)
11月10日までに運行開始するよう陸運課では条件を付けている。

東陽バス、コザ-与那原間/新路線認可(1959年11月8日 沖縄タイムス)

「コザ線」の運行開始以前には、那覇バスターミナルとコザを結ぶ「泡瀬東線」が与那原~コザの区間を、与那原営業所と奥間を結ぶ「新垣線」が与那原営業所~奥間~渡口の区間を、それぞれ走っていたが、与那原営業所とコザを直接結ぶバス路線は存在しなかった。

1959年当時の想定されるコザ線、泡瀬東線、新垣線(コザ線運行開始前)の運行ルート
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

なお、コザ線の運行開始と同時に、重複区間である「新垣線」の与那原営業所~与那原~奥間は廃止となり、奥間を起終点とする循環路線となったようである。

新路線の認可で、従来の新垣線は、渡口、仲順、石平、普天間、新垣、奥間、当間、泊、久場、熱田、渡口に変更なった。

東陽バス、コザ-与那原間/新路線認可(1959年11月8日 沖縄タイムス)
1959年当時の想定されるコザ線、新垣線(コザ線運行開始後)の運行ルート
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

新垣線に振り分ける形で減便?

前述の新聞記事より、運行開始当初は1日34本運行されていたようだが、約5年後の1964年12月末時点では1日19本に減便されている。この時点で、「コザ線」の運行開始と同時に廃止されたはずの「新垣線」の与那原営業所~与那原~奥間の運行が復活していることから、本数の一部を重複する「新垣線」に振り分けた形であろうか。


1964年当時のコザ線及び新垣線の運行概要
行政監察業務概況 1970年5月(1970年5月 琉球政府総務局行政部発行)p.75を元に筆者が作成

10年経たずに初代コザ線は廃止

この初代コザ線であるが、1965年11月末時点のバス路線一覧$${^1}$$には記載があり、1969年9月16日時点のバス路線一覧$${^2}$$には記載がないことから、1965年12月~1969年8月の間に廃止になったと想定される。

運行開始から10年持たずでの廃止であったようだが、コザ線のみが走る独自の運行区間が無く、他の路線で代替できるという判断かもしれない。

2代目コザ線は那覇交通により運行を開始

2代目コザ線は、那覇市の那覇バスターミナルと、沖縄市の胡屋十字路を、首里、普天間経由で結ぶ、那覇交通のバス路線として運行を開始した。運行開始は1981年7月30日のことであり、東陽バスのコザ線の廃止から約10年が経過している。

那覇交通KK(白石武治社長)は30日から那覇-沖縄市間に新しい定期路線をスタートさせる。新路線は那覇を始点に国際通り-首里-宜野湾市真栄原-同普天間-北中城泡瀬ハイツ-沖縄市コザ中学校前-胡屋十字路をまわって中の町-普天間-真栄原-那覇の順。那覇からの始発は午前6時、最終が午後8時30分で1日20便。

那覇⇔沖縄に新路線/那覇交通 あすからスタート(1981年7月29日 沖縄タイムス)

【沖縄】新興住宅街として年々人口がふえ続けている沖縄市胡屋、高原地域に去る7月30日から銀バス・コザ線が運行を始め、地域の人びとも「交通の不便が一応緩和された」と喜んでいる。

やっとバスが運行/胡屋高原 銀バスが新路線開通(1981年8月14日 沖縄タイムス)

東陽バスのコザ線とは起終点が全く異なっており、経路もまったく重複せず、完全なる別路線であった。

初代・コザ線と2代目・コザ線の運行ルート
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

終点はコザ十字路より約2kmほど那覇側にある胡屋十字路であった。「コザ線」となっているのにコザ十字路まで行かない路線であったのだが、胡屋十字路は旧・コザ市内だし、そもそもコザの由来が胡屋なので、間違っているわけではない。

「コザ」とは、沖縄市の中心市街地であるコザ十字路から胡屋地区、中の町地区まで広がる文化圏の愛称。米軍が越来村の胡屋地区をKOZAと呼んだことをきっかけに、一般の人々もコザと呼ぶようになったと言われている。

沖縄市コザについて(沖縄市観光ポータルサイト)

系統番号は102番が充てられた。1つ前の101番が、1981年2月2日に運行を開始した101番・平和台安謝線に充てられたので、その引き続きで102番となったのであろう。

なおこの当時は、那覇バスターミナル~胡屋では、まったく同経路で25番・石川線が1日69本運行されていたが、102番・コザ線は北中城村島袋や沖縄市胡屋の国道330号より東側に存在した住宅街をカバーする目的があったと思われる。

北中城村・沖縄市内でのコザ線(初代・2代目)および石川線の運行ルート
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

2箇所で経路が変更

102番・コザ線は、廃止までの間に2箇所で経路が変更されているようである。ただし、いずれも変更時期は見つけきれていない。

1箇所目は、牧志経由から開南経由への変更である。これは運行開始時の新聞記事では、経由地に「国際通り」とあるのに対し、後述する廃止時の新聞記事では「開南経由」となっていることから、変更が確認できる。

那覇市内でのコザ線の運行ルート
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

2箇所目は、真栄原経由から琉大経由への変更である。これは運行開始時の新聞記事では、経由地に「真栄原」とあるのに対し、1985年の新聞記事では、医学部前バス停(現在は廃止)に102番・コザ線が停車していたという記載があることから、変更されたことが確認できる。

西原町・宜野湾市内でのコザ線の運行ルート
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

那覇交通株式会社(銀バス)は4月1日から新琉大線の路線を一部変更、新しく「附属病院前」のバス停を設けることとなった。
琉大付属病院が西原町上原に移転したもののバス停は病院から約500メートル離れた医学部前にあるため、外来の通院患者は不便をかこっていた。大学、総合事務局運輸部、バス会社との話し合いで詰めた結果、4月1日の便から宜野湾線92番、コザ線102番が従来の医学部前を経由し付属病院に乗り入れることになった。

新バス停を設置/1日から琉大付属病院前(1985年3月31日 沖縄タイムス)
(筆者注)「宜野湾線92番」となっているのは「宜野湾線97番」の誤記だと思われる。

いずれも前述の通り大部分でルートが重なる25番・石川線との差別化であろうか。

102番・コザ線と25番・石川線の運行ルート
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

5年未満で2代目コザ線は廃止

102番・コザ線は、1986年6月19日をもって廃止となった。1981年7月30日運行開始なので、2代目コザ線の歴史は初代コザ線の歴史よりもさらに短く、5年経たずの廃止であった。
ただ路線が完全になくなってしまったわけではなく、那覇市側は那覇バスターミナルから那覇空港へ延長、沖縄市側も沖縄こどもの国が終点に変更され、新たに102番・空港こどもの国線として生まれ変わった。

102番・コザ線と102番・空港こどもの国線の運行ルート
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

那覇交通(銀バス)は20日から従来の空港線を廃止し、代わりにコザ線(開南経由)を空港まで延長する。また同線は沖縄こどもの国入り口まで路線を延ばし、行楽客の便宜を図る。従来、同線の通っていた島袋公民館前、島袋、泡瀬ハイツ、ひの木保育園前、スーパー島屋前のバス停は休止となる。
今回廃止されるのはターミナル、上泉、県庁南口、琉銀本店前、久茂地を通って空港に向かう⑦新空港線。それをカバーして、空港まで路線を延ばすのが従来のコザ線(開南経由)で、名称も「102空港子供の国線」。

空港線を廃止しコザ線がカバー/銀バス(1986年6月13日 琉球新報)

この102番・空港こどもの国線は、1993年に終点が普天間に変更(短縮)され102番・空港普天間線に、さらに1998年に起点が西原営業所となり102番・西原普天間線に変更されたのちに、2004年7月17日をもって廃止されている。

なお、1986年の102番・コザ線の廃止以降「コザ線」と命名された路線は運行されていない。

脚注

  1. 旅客自動車輸送実績報告書 各バス会社(1967年 琉球政府通商産業局運輸部)p.104

  2. 陸運関係資料 バス関係財務諸表(1968年10月~1970年10月 琉球政府企画局企画部)p.157

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