伊江島旅行記【ミースィ公園・郷土資料館・平和資料館・伊江島LCT爆発事件】
沖縄本島近くにある伊江島(いえじま)を訪れた話です。
前回の続きです。
伊江港近くにあるミースィ公園に行きました。
子どものための遊具がありました。
小さな島にあるとは思えない広々とした公園です。
緑の芝生のグラウンドはしっかりと整備されていました。
バスケットコートもありました。
バスケットボールも用意されています。
こちらは伊江島イメージキャラクターの「タッちゅん」だそうです。
伊江島タッチュ―の帽子をかぶり、特産品の落花生のパンツをはいています。
伝説の力士、安里五良(アサトグラ)の石碑です。
石碑の記載を一部ご紹介します。
安里五良が角力で勝利したさいに
「伊江勝ちゃん」
→「伊江ハッチャン」
→「イーハッチャー」
と言葉が変化して、伊江島の人々のイーハッチャーの精神(猪突猛進型で男子的な響き)として今日に伝わったそうです。
フェリーに乗るために伊江港に戻ってきました。
伊江港の道向かいにある建物を訪れてみました。
郷土資料館と平和資料館がありました。
ひと気がなくて薄暗い入り口です。
途中、ハーリー舟が展示されていました。
こちらが郷土資料館の扉です。
どことなく寂しい。
中には誰もいませんでした。
パネルには国の重要無形民俗文化財である伊江島の村踊について紹介されていました。
こちらは島から出土した鹿の化石のようです。
こちらは土器。
こちらの人骨はアニサギ貝塚の海岸近くで発見されたそうです。
1200~1500年前の女性だそう。
続いて平和資料館に行きました。
資料館同様、中には誰もいませんでした。
戦争のときに使用された武器や生活用品などが陳列されていました。
1945年の沖縄戦で伊江島は米軍との激しい戦闘に巻き込まれました。
戦争の体験談がイラストとともに書かれていました。
軍民一体化の戦争で、直接の戦闘以外でも集団自決やスパイ容疑で多くの方が亡くなりました。
こんな悲劇はもう二度と繰り返してほしくありません。
でも伊江島では戦争が終わったあとも大きな事件がありました。
1948年8月6日におこった伊江島LCT爆発事件についてご存じでしょうか?
米軍は沖縄戦時の不発弾や未使用爆弾を、島外に運び出そうとしていました。
船に積み込む作業をしていたときに、事件は起こりました。
125トンの爆弾が荷崩れをおこし爆発したのです。
夕方の時刻で港には多くの人で賑わっていました。
100人以上の方々が犠牲となりました。
その現場となったのが、こちらの伊江港です。
わたしが小学生のころ、沖縄本島南部地区にある小学校の修学旅行の行き先は、決まって伊江島でした。
逆に沖縄本島北部にある小学生たちの修学旅行先は、決まって沖縄県営平和祈念公園でした。
悲劇を忘れてはならないという大人たちの思いを感じながら、フェリーに乗って伊江島をあとにしました。
人と人との温かい交流を信じて、世界が平和になるように活動を続けていきたいと思います。