黒豚

琉球にはブタという名前の人が沢山いた!



このブタ!と言われて喜ぶ人は
特殊な性癖な人以外は少ないでしょう。

私達の食生活に欠かせない豚ですが、
イメージとしての豚は、

怠惰、好色、不潔、肥満のように、
プラスのイメージがありません。

しかし意外な事にブタは琉球国の時代には、
決してマイナスイメージではなく

実際にブタという名前の人もいたのです。

尚真王の第七男はブタという名前


1501年に建立された玉御殿の碑文には、
尚真王の七子として、

「とよぐすくのあんじおもひぶたがね」
という名前があります。

こちらは、尚源道という人物で、
どうやら豊見城の按司だったようですが、

後継者がなく家が絶えてしまいました。

また、1620年に浦添ようどれに建立された極楽山之碑文にも

三司官の名前の漢訳に豊美城思符多と刻まれています。

こちらの符多はブタであるようです。

それ以外にも、国王頌徳碑(かたのはなの碑1543年)には、

大さとの大やくもい まふとがね 

やらざもりぐすくの碑(1554年)の奉行、

かつれんの大やくもい まふとう
それぞれ濁点をつけて

「ぶと」「ぶとう」と読むのだそうで
つまりブタなのです。

近世にも続々登場するブタ


近世に入っても、
変わらず琉球人の名前にブタがつけられます。

1尚永王女聞得大君「思武太金」、
2尚質王王女、諸見里翁主「思武樽金」
3尚灝王王女掛久保翁主「思武太金」など、

名前に武太、武樽を宛てて

ンター、またはンタルーと言っています。

どうして、自分の子供にブタと名付けるのか?
伊波普猷によると、それは、妊婦が
トイレの前で産気づいたからだとしています。

当時の琉球の便所は、
豚小屋とトイレがセットになった豚便所であり
そこにはブタが飼われていたという事なのです。

王族ばかりではなく、世間一般にも、
武太、武多、武樽などの名前は多く存在しました。
沖縄の人なら、位牌の名前を見ればブタという名前を
先祖の名に容易に見いだせるでしょう。


自分の子供にブタと名付ける事は
現在では考えられないでしょう。

でもそれは、明治以降に入って来た
キリスト教の価値観であり、

ブタは怠惰で多産で淫乱であるとして
道徳律から外れると教えたからです。

しかし、キリスト教伝来の前の琉球では、
ブタは財産であり、丸々と太り沢山の子供を産む
健康と子孫繁栄のシンボルでした。

幼児の死亡率が5割を越えていた昔、
我が子がブタのように丸々太りますように
健康で、沢山の子孫に恵まれますようにというのは、
我が子に向けた切実な願いと愛情だったのです。

琉球・沖縄の歴史を紹介しています。

http://blog.livedoor.jp/ryukyuhattuken/

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