琉球歴史

1分で理解、琉球が薩摩に敗北した理由

1609年の薩摩、島津氏による琉球侵略は、
多くの沖縄県民の知る所です。
しかし、どうして敗北したか?については、
たった一言、
「平和に慣れた琉球人が
野蛮な島津氏に対抗できなかった」

だけで片付けられているに過ぎません。

この程度のコメントでは敗戦を分析しているとは、
到底呼べないので、1分で分かる琉球敗北の理由を
当ブログでは解説しましょう。

敗因1 上陸ポイントを那覇に限定し過ぎた

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琉球の豚を食べていた徳川慶喜

徳川幕府の十五代将軍徳川慶喜
家康の再来と謳われ、西郷隆盛や木戸孝允を
怖れさせた天才、慶喜の好物は琉球豚でした。
今回は精力的な活動をした慶喜の行動を
支えた琉球の豚について書きます。

父は牛肉好き、子は豚肉好き

徳川慶喜は、水戸藩主、徳川斉昭の七男として生まれ
御三卿、一橋家を相続した人物です。
父の水戸斉昭は、大変な牛肉好きで彦根藩の名物
赤牛の味噌漬けが大好物でした。
しかし、彦根藩を

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休め!

cocoです、

危険なサバイバルツアーで
沖縄にある巨大な龍穴のある
無人島に行った時の話です。

そこまで渡る船がないため、漁師さんに
お願いしてボートで渡ります。

沖縄本島から離れる前に
スマホ、電子機器類など
文明機器はすべて
没収されました。

ボートで砂浜に降り、
ジャングルの中を歩きます。
獣の声もします。

辺りが暗くなり、闇に包まれてくると
段々と不安になってきました

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戦後沖縄の電力事情

沖縄戦で焦土と化した沖縄では、
もちろん発電所も送電設備も失われました。
明るい電気の下での家族団らんも、
映画館で映画を見る事も
しばらくは叶わなかったのです。
アメリカ軍でさえ送電船からの電気で
電力需要を賄なっていました。
しかし、逞しい沖縄の人々は米軍からの放出品の
発電機を元に個人が電気を販売しだしました。

全島で300の個人電力業者が創業開始

終戦直後、沖縄の人々は地域関係なく、し

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よく聞く沖縄振興予算とは何?

毎年、新聞を賑わす、沖縄振興予算、近年は3000億円に到達し
やれ、3000億円を割っただの増えただのと言われていますが
そもそも沖縄振興予算とは何なのでしょうか?

基地とは無関係な沖縄振興予算

沖縄振興予算というと基地とバーターであるとか、
沖縄だけの特別な予算が上乗せされているとか考えられがちですが
それは誤解で、他の都道府県が出す予算の要求と同じです。

ただ、沖縄だけは関係省庁ではなく

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知ってた?那覇大綱挽のトリビア

ギネス級の大綱を1万5千人が挽きあう、那覇大綱挽、毎年28万人が
見物に訪れる、こちらのイベントは、毎年10月の体育の日の3連休の
中日に、久茂地大通りを封鎖して行われます。

今回は知って自慢できる大綱挽トリビアを御紹介しましょう。

歴史は550年、古琉球の時代から続く那覇大綱挽

那覇大綱挽は、西暦1450年頃に始まり琉球王朝の祝い事や
中国から来訪した冊封使歓待の特別に行われた国家的な催し

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沖縄では鬼退治に豆を撒かずに○○を撒く

沖縄には、旧十二月八日に
鬼餅(ムーチー)という行事があります。

この日には、鬼が持ってくる災厄を祓う為に、
もち米を蒸して月桃(サンニン)の葉やクバの葉に巻いた
鬼餅をたくさん造って、仏壇や火の神に備えてから
家の軒下などに吊るし子供の無病息災を祈ります。
そして鬼餅では、鬼を追い払う為○○を撒くのです。

鬼餅は厄払い

鬼餅の習慣は、昔々、山で暮らす間に鬼になり
村人を殺して食べるようにな

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ルートビアとサロンパスには同じ成分が入っている

沖縄ではメジャーな飲み物、それがルートビアです。
一般には、サロンパスの味と称されるルートビア、
調べてみると、実際にサロンパスの成分と同じモノが
含まれていました。

ルートビアのルートとは「木の根」の事を意味しています。
だからルートビアは「木の根ビール」です。
いかにも不味そうな名前ですね。

誕生したのは、18世紀の末、アメリカ建国の前後でした。
当時の農民たちが地ビールの感覚で低アルコー

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沖縄戦が悲惨になった5つの理由

今年も慰霊の日がやってきます。
毎年、この時期になると慰霊の日特集が沖縄では放送されますが、
どれも「悲惨だった」「残酷だった」「二度とすべきではない」と
オウムのように繰り返す感情的な番組に終始します。

二度と起こしたくないなら、まず、どうして沖縄戦が悲惨になったか?
それを検証しないといけないでしょう。
詐欺に二度と遭いたくないなら、詐欺の手口を知る事であって、
酷い目にあった人の体験を延

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一体誰?歓会門の櫓の上で薩摩を挑発した法師武者

1609年、薩摩島津氏の軍門に屈した琉球王国
敗れるには敗れましたが、
誰一人抵抗しなかったわけでもありませんでした。
今回は、現在でも正体不明な首里城歓会門の櫓の上で
薩摩藩兵に気を吐いた 一人の法師武者を紹介します。

喜安日記に登場する法師武者

薩摩による琉球侵略を琉球の目線から書いた史料に
王府の茶道頭だった 喜安蕃元の喜安日記というものがあります。
それによると、首里城が接収され

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