表札

沖縄に中城や真和志という名字がない理由


元来、沖縄人には童名だけがあって
名字はありませんでした。
その後、日本や中国と付き合うようになった高級士族が
便宜上の理由からチャイニーズネームや
領地名を名字として使用するなどして徐々に普及して行き、

琉球処分後には、元々名字がない庶民も名字を名乗るようになります。

ですので、大体、沖縄の名字は村の名前や城の名前なのですが、

実は、存在しない名字というのがあるのです。

※こちらの書籍を参考にしています。

壺中天地
壺中天地 [単行本]
山里 永吉
株式会社閣文社
2017-03-01

中城や真和志という名字はない


沖縄県の名字は、比嘉や島袋、知花、具志堅、津嘉山、
運天、大城、新垣のようなものがあります。

それらは、村の名前や城の名前からとられているようです。

ところが、同じく、城の名前や村の名前でも

中城や真和志という名字の人はいないのです。

これは、一体、どういう事なのでしょうか?

中城や真和志は王族専用


答えはそんなに難しくありません。
実は、真和志や中城という土地は
琉球国の天領で部下に与える事がありません。

琉球国時代王府は
真和志、西原、南風原の3つの間切を直轄地にしていました。
※中城間切は皇太子の直轄地

ここは、王様が食べる為の土地なので、部下に与える事が出来ず

中城や真和志という名字を名乗る士族はいなかったのです。

すると、え?西原さんや南風原さんはいるよ
という事になりますが、南風原という名字は
勝連間切にある名字であり、西原も村の名前ではなく

太陽が沈む方向の土地という意味で
王府の直轄地とは無関係です。

どうして恩納さんは少ない?


ところで皆さんは
恩納さんという知り合いがいますか?

恩納さんはネットで検索すると沖縄県に200名、
神奈川県に20名という希少な名字です。

しかし、恩納村があるのに
恩納さんが少ないのはちょっと不思議です。

こちらについては、
音が「女」と同じで紛らわしかった説があります。

例えば、薩摩に上国しても
名字が恩納では格好がつかないという事で
実際に、恩納間切の地頭職の姓は
恩納ではなく佐渡山でした。

恩納村には伊武部ビーチというのがあり
よく下ネタにされますが、
オンナのインブでは、
幾らなんでもバカにされるというので

恩納を名字にする人は少なく、
敢えて東恩納とか方向をつけて、

区別するようになったようです。

譜久山さんは、元々今帰仁さん

また、譜久山さんは、
元々は今帰仁さんだったそうですが、

琉球国の末期に、
尚育王の三男の今帰仁王子朝敷が
今帰仁に王子家を立てたので

王子と同じ名前では差し障りがあると、
今帰仁のもう一つの呼称、北山をもじって
譜久山にしたのだそうです。

大和にしても琉球にしても、
貴人の姓名を避ける習慣があったので、

このように、元々あった名字が
消えたり、つけられない事がありました。


逆に、沖縄には同じ名字が多すぎて
名字を替えてしまったケースもあります。

それは、中城護左丸の流れを汲む新垣さんで
護左丸が王府の五代閥に名前を連ねてしまったので
廃藩置県後にやたら新垣さんが増加していまい

どこの誰だか区別がつかないので、
新垣一門で話し合いをして

一斉に名字を替えたのだそうです。
そうして変えた名字には井口などがあります。

琉球・沖縄の歴史を紹介しています。
http://blog.livedoor.jp/ryukyuhattuken/

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