タイトルなし

ピンクの歯ブラシ

数年前、夫婦そろって電動歯ブラシを買った。
機種はBRAUNのOral-Bの充電タイプ。
ここで軽く問題になったのが、色のチョイスだ。

当時のモデルはもう販売されていないのだが、BRAUNのカラーパターンは変わっていないので参考にこちらのURLをご覧いただきたい。
https://www.oralb.braun.co.jp/ja-jp/products/electric-toothbrushes/pro-series

僕と妻が買おうとしたモデルには、ここに出ているうちの「ブラック」と「プロヴァンスピンク」の二色しかなかった。
ピンクよりはブラックがいい、と思った。
その思いを秘めつつ、妻に「どの色がいい?」と聞いてみた。僕としては妻が「ピンク」と言ってくれるのを期待してのものだったが、妻は「ピンクは嫌だ」と断言した。

二人で同機種同モデルを使う以上、色を分けておかないと不便だ。
僕がピンクをとるか、妻を説き伏せるか。
そのとき僕は考えた。そもそも僕はピンクが嫌いだろうか?
僕はピンクが嫌なわけではない、と思った。今までの人生で、ピンクを使うことに良くも悪くもこだわってこなかった。
加えて「男なのにピンクを使うなんて嫌だ」と言う男性になりたくもなかった。

僕は、ピンクの歯ブラシを使うことにした。

使い始めて、すぐに気づいた。
ピンクを使うことへの違和感は意外なほど大きい。

世の中の物は「男は青・黒系、女は赤・ピンク系」の色の割り当てが当たり前になっている。
だから、ブラックとピンクが並んでいる洗面台からピンクを手に取るとき、「手に取る方を間違えたんじゃないか?」とつい思ってしまうのだ。
男性が男子トイレに入ったら壁やドアが赤やピンク基調で塗られているのを目にした瞬間の気持ちを想像してほしい。たいていの男性は不安に駆られて思わず入口に戻ってしまうのではないだろうか。

対象は合っているのに、慣習と違う色付けがされているので、間違えているような気がして不安になってしまう。
「ピンクを使うことが間違っているような気がする」感覚は、なかなか消えなかった。
使うにつれ少しずつ弱まってはいたので、使い続ければいずれなくなったかもしれないが。

うっかり妻の黒い歯ブラシを手に取ってしまうことも何度かあった。
妻はあまりそのような間違いはしなかった。妻は元々、服にしてもアクセサリーにしてもピンク系の物は身につけないタイプだったので、ブラックはすんなりなじんだのだろう。僕だけがまごまごしていた。

もう一つ気づいたことがあった。
この「プロヴァンスピンク」って好みじゃない。
このピンク、少し暗くて彩度が低い。野暮ったいのだ。ゴム製で透明感が出しにくいのもくすみの要因だと思う。
鏡ごしに歯ブラシを見ながら、このピンクが例えば幾原邦彦(アニメ監督)が好んで使うあの明るくて強いピンクだったら、あるいはキキララのピンクの方のふわっとした優しいピンクだったらと考える自分がいた。

どうやら僕にもピンクの好みがあったらしかった。
前述のピンクを使うことへの違和感と異なり、好みの違いからくる気に入らなさはそれに気付いてしまうと、日に日に強まっていく。
それからはピンクの歯ブラシを買い替えたいなあ、と思う日々が続いた。

なぜ僕は、自分にピンクの好みがあることにずっと気づかなかったのだろう?
もともと僕は「自分はピンクにこだわりのない人間だ」と思い込んでいた。
なぜそう思ったか? それはピンクの品物を自発的に買おうと思ったことがなかったからだ。
ただし僕は「嫌いだから」避けていたのではない。なんとなく選ばなかっただけだ。
だからこそ僕は「ピンクにこだわりがない」のだと自分のことを思っていた。

僕の頭の中には自分にとって親しい色を集めたパレットがあって、何かを買うときはそれに近い色の物を選ぶ。
例えば僕は若草色が好きだが、黄緑っぽければなんでもいいわけではない。こだわりのある色だから、きちんと決まった好きな色のイメージがある。それと外れるものは、似ていても、いやむしろ似ているからこそ選びたくない。

色にこだわりがないとは、そのような決まった色のイメージがなく、どんなバリエーションでも「可」という状態だと思う。
僕が「自分はピンクにこだわりがない」と思っていたとき、僕としては、僕のパレットにグラデーションのように色々なピンクが置いてあるというイメージだった。
しかし実際は、僕のパレットには「ピンク」系統の色がまるまる存在していなかったのだ。

僕はピンクをなんとなく選ばなかった。それは「ごく自然に」だった。「嫌い」のように意識にのぼることすらなかったのだ。
そうなったのは、僕が男性として生きてきたなかで、ピンクの物品からおのずと遠ざけられていたことが一因だろう。
自分の周りを彩る色として「ピンク」を認識することなく、またそれによって困ることもなかったので、僕のパレットにピンクは置かれないままだった。

歯ブラシを買い、初めて自分のものとして「ピンク」を意識したとき、それまでパレットには置かれていなかったものの、記憶の中にあった親しみのあるピンクが浮かんできたようである。
かくして僕のパレットにピンクは置かれた。そして「プロヴァンスピンク」は、パレットに置かれたピンクとは似て非なるものだったのだ。

結局、三年ぐらい僕はピンクの歯ブラシを使い続けた。
買い替える時、今度こそと僕はブラックの歯ブラシを選んだ。
よく考えると、僕にとっては黒こそ「こだわりのない」色だった。黒はそこまで好きでもないが、どんな風合いでも嫌いにはならない色だ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?