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アドベンちゃん(陰毛)

我が家では、家の中に落ちている陰毛を「アドベンちゃん」と呼んでいる。
ほぼ100%、僕から出たやつである。

共同生活を送る上で妻から受けた注意は数知れないが、その中でもっとも納得いっていないのは、アドベンちゃんが落ちていることへの苦情である。

確かに、あいつはどこにでも現れる。
掃除したばかりの床の上に、さっきまで何もなかったはずの机の上に。
さっきソファの上にひっかけた上着の袖に。
読みかけの本のしおりを挟んだページをひらいたら、自分もしおりだと言いたげに一緒に。
複合プリンターのスキャナーのカバーの下に。

ちなみに、妻が一番驚いた到達場所は冷蔵庫の卵置き場だそうだ。


太い上にねじれているからよく目立つ。

毛や埃を気にする妻は、よく掃除をする。掃除機をかけたうえに雑巾がけまでする。
それにもかかわらず掃除の直後に颯爽と現れるアドベンちゃんにいらだつのはよくわかる。
そもそもそんなに清潔なイメージのあるものではないし。

しかしその文句を僕に言われても困るのだ。
それは僕にもコントロール不可能なものだ。
一人暮らしをしていた頃から、あいつは神出鬼没だった。
僕は部屋の中で裸で出歩くタイプではない。風呂から出ればすぐに服を着る。
それなのに気づけば傍にいるのだ、あいつは。

もちろん僕はベストを尽くしている、わけではない。
剃るという最終手段があり、実際、妻に提案されたことは一度や二度ではない。


でも僕には苦い経験がある。
中学生の頃、生え揃ってきた陰毛をカミソリでまるっと剃ったことがある。
それは思春期故の恥ずかしさからではなかった。試しに剃ってみたらカミソリで毛を剃る感覚が思いのほか気持ちよくて、気づいたらうっかり全部剃ってしまっていたのだ。
全部剃ったといっても、つるつるに剃れたわけではなく、中途半端に数ミリ残っていたのがいけなかった。
それから数週間、動くたびに股間がずっとチクチクして、本当に嫌だった。
あの小さなトラウマがあるので、僕はどうしても最後の手段をとることはできず、妻の小さな不満を解消できずにいる。

妻もさすがにアドベンちゃんを僕が完全にコントロールできるとは思っていない、はずである。
僕が最終手段を取りたくないということも理解はしてもらっている。
そのうえで妻はアドベンちゃんを発見したときのイライラを、僕に苦情を言うことで消化しようとしているのだと思う。
だから僕はつつしんで受けることにしているが、でも僕だって悪意があって振りまいているわけではないので、なんか納得いかない気持ちは残っている。残っているが、我慢できる程度の大きさである。

全部剃っていないことに引け目もある。でもそれって引け目として合理的なのだろうか? 僕の身体のメンテナンスを僕が決めているだけのに。でも迷惑がかかっているのは事実だから仕方ない。

ところで「アドベンちゃん」という呼称は、アドベンチャーが由来である。
妻によると、彼らはどこにでも現れる冒険者だから、だそうだ。
ではなぜちゃんを付けるのか。それによって親しみでもわくのだろうか?
親しみによって多少はイライラを緩和できるのだろうか?
などと疑問に思うのだが、真相はわからない。妻は彼らを見つけたら、無慈悲に捨てているし。

少なくとも僕は一度も親しみを感じたことがない。
と思ったが、この文章を書いている間「あいつ」呼ばわりしていたことに気づく。
いつの間にかあいつらは僕の中で人格を持ち始めている。妻のせいだ。


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