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「正しさ」を手放せない私自身を、赦すということ

「その考えは正しい」「あの人の意見は間違っている」

こんなセリフを、今までの人生、何度呟いただろうか。「対立」や「正しさ」の主張がテレビや新聞で取り上げられているように、いつだって人は「正しさ」を探し続けている気がする。

私自身もこれまで「正しさ」を追っていた人間だった気がする。「着地点はどこか」を常に意識し、生活や仕事でも最適な解を求め続けた。

そんな少し違和感のある生活を続けていたら、いつのまにか壁にぶつかってしまったのだ。「正しさとは一体何なのか」という疑問に。

正しさがぶつかり合う社会の中で私がすべきこと

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「正しさは一体何なのか」という問いを考え続ける中、答えへのヒントを教えてくれる本と出会った。アタシ社 三根かよこさん著の『たたみかた』だ。

たたみかたは30代をターゲットにした社会文芸誌。2017年4月に創刊された第1号では、東日本大震災以降の福島を中心に、哲学や仏教、国際協力、ジャーナリズムなど第一線で活躍する人々のインタビューを通して、「正しさ」や世の中の「分断」を探る一冊となっている。

本誌の冒頭は次の言葉から始まっている。

”震災以降、できるだけ信頼のある情報を探し続けていた。何か一つの「正しさ」を探し求めていたとも言える。でも、この6年間で私がたどり着いた結論は、『そんな「正しさ」は世界のどこにも存在しない』ということだった。”

また、日経ウーマンのインタビューではこのように語っている。

“ 考え方が「右寄り」「左寄り」と言ったりしますよね。たたみかたはそれ自体をどうこう言うのではなく、なぜその人がそういう考え方になったのかということを疑問に思うのが出発点です。誰かの発言に対して、「ありえない」とか「何でそんなことを言うの」とか、受けた側は何かしら感情が動きますよね。では、そういう感覚はいつからできたものなのか。”
”人は、自分が「正しい」と思っていることから自由になれない。だから、「どちらが正しいという問題ではない」ということを知っている状態から始めよう、というのが私の提案です。”

読み終えた後、何とも言えない気持ちに包まれたことを今でも覚えている。

「正しさ」の正体を探す過程の中で、社会には正解がないことばかりだと感じた。いっそのこと「人としてこうありたい」「社会がこうなってほしい」と願う私自身が思う「正しさ」を捨てることが楽なのではないかと考えた。

しかし、「正しさ」を捨てる行為は、自分が信じてきたものを失うことに近く、失ったことで「これからどう生きていけばいいのか」と恐怖を感じた。

たたみかたを読んで感じたのは、私自身の考えの軸は持ちつつ、社会や隣で自分と違う主義主張を持つ人がいたとしても、自分の立場を押しつけず、相手の立場を知ることや思うことの大切さだった。

「正しさ」を手放せない私を赦し、相手の「正しさ」の物語を知ること

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たたみかたとの出会いから、自分自身の「正しさ」を捨てることを止め、自分とは違う相手の立場と向き合えるようになるために、他者が持つ物語や背景を知ることをライフワークとしている。

これまで、東京都国分寺市でまちの居場所となる介護事業所を営むご夫婦や、新潟県三条市で地域に寄り添った作品づくりに励むクリエイターの方など、様々な思い持つ人々との出会いがあった。その人たちが「暮らしの中で大事にしたい軸」はそれぞれ異なるものだ。

ただ、共通していたのがそれを社会や誰かに押し付けようとしない姿勢だ。自分自身の大切にしていることをゆっくりと語りかけ、「よかったら一緒に」とそっと差し出してくれるような方ばかりだった。

こういった出会いを続けていく先に、隣にいるあなたの「正しさ」や、社会全体の「物差し」を理解することにつながるのではないか。そう思い、人と出会い、これまで生きてきた中での物語や背景を聞くことを続けている。

社会全体が陰りを見せる今。様々な想いが飛び交い、前への進み方がわからなくなり、立ち止まりたくなるのも事実である。

そんな状況下でも、誰かと手を取り合い未来に進んでいけるよう、「正しさ」との向き合い方を今後も探究し続けたいと思う。

(執筆:金田 みほ)

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