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山に癒される #斜里岳

清雄策著 山に癒される (山と渓谷社刊)
201p〜206pを抜粋

網走に住んでいれば、無雪期一般ルートの斜里岳に、いつでも日帰りできる。

濤沸湖に白鳥が訪れる十一月初めころ、斜里岳は山頂付近に白い帽子を被り、それは日毎に山麓のカラマツ林に迫る。そして年の暮れが近づくころには、全山が真っ白に覆われてしまう。年が明け、冬の間オホーツクの海を一面に埋め尽くした流氷が去り、海明けの日が過ぎても、まだ山真っ白である。五月になって麓の牧草地が青さを増し、再びシラカバやカラマツの枝先が萌え始めると、ようやくおもむろに身に纏った白の衣を脱ぎ捨てる。

やがて六月中旬には沢筋の雪渓を残すのみになり、短い夏の間七月から九月にはその白い斑点も消え、しばし夏姿を広々とうねる馬鈴薯畑の上に見せる。知床半島基部の海別岳から遠音別岳、知西別、羅臼岳へと続く連山の右側に、幾つかのピークを重ね左右に長く裾を引いて独立峰を形成するこの山は、道東の山々の中ではひときわ優美な山容を有している。又冬、摩周湖の向こうの夕映えの斜里岳は、深く沈んだ藍色の湖面と対照的に、明るく華やかでさえある。いずれにせよこの山は、オホーツク沿岸では山容の美しさと山懐の奥深さにおいて、抜群に魅力的な山である。

この人を惹きつけてやまない山に、私は雪の時期に登りたいと密かに考えていた。山に関する力量からいって、単独では困難である。地元の山岳会に入り、仲間と山行をともにするほかない。しかし、転勤当初網走市の体育協会に尋ねると、網走山岳会はこのところ活動が停滞しているとのことで、やむなく単独で無雪期の山々を歩いた。

斜里岳には九月十六日、家人を同行して清岳荘から登った。下二俣までは一ノ沢沿いに飛び石で、そこからは大小の滝の連続である。小滝をへつりながら這い上がり、大滝は巻いて、やがて最後の水場の上二股で沢筋が終わる。そこからは南斜里岳との鞍部の馬の背の稜線に向かってカンバの灌木林を抜ける。かなりの急登である。

稜線に出ると猛烈な風が南から吹きつける。ここからは、稜線上のハイマツの間を山頂に向かってワンピッチである。山頂下の岩陰で風を避けてゆっくりと食事を取っているうちに、朝からの霧がみるみる晴れてきた。眼下にオホーツク海が広がり、海別岳から続く知床半島の稜線が、更に目をめぐらせれば太平洋上指呼の間に国後島が。振り返れば、摩周湖が真昼の日差しに光り、屈斜路湖が広々とした湖面を曝している。

帰途は竜神の池に寄って、熊見峠の尾根を歩く。先刻の山頂部からの北壁が、青空に迫力充分にジャンプ台を描いている。真っ赤に熟れたコケモモの実がたわわである。下二俣への最後の急坂を下りれば往路に出る。清岳荘には、夏場は管理人が入っているが、冬季は無人となる。無雪期の一般ルートもこのように変化に富み、なかなかに捨て難い。

平成四年四月四日午後、既に何回か山行をともにした黎明登高会の林、松尾の両君と清里の登山道入口から林道を二キロ程入った所に駐車。ここから先は除雪していないため、林道をシールを付けた山スキーで歩く。清岳荘まで六キロ近い。それでも彼岸を過ぎて日脚がめっきり延び、午後六時を過ぎても明るさが残っている。

三時間程で小屋に着いた。まだ入口にはうずたかく雪が残り、小屋の裏側は積もった雪と屋根からの落雪で埋まっている。中にはストーブが設置され、充分すぎる程の石炭が用意されている。石炭付きの山小屋は本州では経験がない。点火してしばらくすると煙突が真っ赤に焼ける程火力が強い。雪の入り込んだ土間の湿気も払われて、内部は気温を取り戻した。早速に飯炊きが始まる。林、松尾の段取りは鮮やかで手際よい。一段落するとビールと酒が始まる。

多少吹き込んだ雪があってもテントと違って広くて暖かいので、寛いだ雰囲気に浸れる。夜半にイタチかテンが、食糧を狙って真っ暗闇の中を這い回っていた。谷間を吹き抜ける風の音が夜通し騒がしかった。

翌朝四時半起床。雑炊を胃袋に流し込んで五時半出発。ふたりの後ろからゆっくりスキーを動かす。天気は回復の兆しがあり、風もようやく収まってきた。沢はまだ深い雪の下である。下二俣から沢筋を左に取り次第に高度を上げていく。直登沢の取り付きは、夏は七、八メートルの滝であるが、今はすっかり凍てついて雪に覆われている。ここにスキーをデポしてアイゼンに履き替える。雪面が緩んでいるので左岸を高巻きする。ここから山頂まではただひと筋、ひたすら狭い雪渓を登り詰める。

次第に急登になり、振り返る下の世界がぐんぐん広がっていく。まだ所々に雪を被った広大な畑の先に、流氷が去ったばかりのオホーツク海が青さを取り戻して遠く青空と交わっている。林にザイルで確保されながら、コンティニュアス(同時登攀)で頂上直下の急斜面を一気に登る。稜線は猛烈な風である。一瞬吹き飛ばされそうになり、ピッケルとアイゼンで踏ん張る。

山頂はケルンの先端を残してまだ雪に覆われている。今、雪の斜里岳の頂に立つ。年来の思いを遂げ、うちに喜びがふつふつとこみあげるのを感じる。

下りは馬の背の稜線を避けて、上二股辺りを目指して斜面を滑り降りる。ときどき雪を踏み抜いてハイマツに足を突っ込む。無雪期にはこの辺はハイマツとハンノキの灌木帯だが、今はわずかにカンバの枝先が頭を出すのみ。闊達な谷間が広がり、昼下がりの陽光が雪を照り返して明るく眩しい。夏はこの辺から滝の連続である。

この谷間をゆっくり下る。我々のほかに人影はない。静寂である。遠く微かにスノーモービルのエンジン音が聞こえた。下二俣までは意外に遠い。スキーを取りにデポ地まで戻り、再びスキーを履いて小屋に下る。小休止の後、昨日の林道を滑り降りる。ときどき荷物にふられて転倒するが、それでも小一時間程で無事駐車地点まで戻った。

これで念願の雪の斜里岳に登頂できた。この満ち満ちた充実感は、時の流れとともに何物にも代え難く胸の奥底に沈殿していくであろう。この山行は岳友、林と松尾に負うところが大きい。

「今、戸外はすっかり雪で固められています。間もなく、今年もアムール河からオホーツクの遥かな波路を超えて、流氷がこの海辺に辿り着くことでしょう。網走の四季は、この雪が解け流氷が沖合に去って、海が青さを取り戻し、海明けとなり、あちこちの湿地にミズバショウが咲き、シラカバの木の芽が萌えて山々が淡い緑のベールを被ると春になります。やがて、原生花園にヒオウギアヤメ、エゾスカシユリなどの花々が咲き乱れ、馬鈴薯畑を白い花が埋め尽くし、刈り入れ間近の麦が丘陵を長くうねり続けるころ、短い夏を迎えます。そしてハマナスの実が真っ赤に熟れ、アッケシソウが能取湖畔をサンゴ色に染め抜くと、もう秋です。その秋は夏より短く、白鳥が濤沸湖に舞い降りて羽を休め、黄金色のカラマツの葉が幾度かのみぞれにたたき落とされて裸木になると、再び長い冬の訪れです。このように北の季節は、それぞれに鮮やかな彩りを添えて巡り、自然の営みとそこに住むエゾリス、エゾシカ、キタキツネたちの姿が、めくるめく世界を物語ってくれます。
この雪解けとともにこの地を離れる日が近づいている今、今年の四季を肌で感じることができないのは、少しばかり心残りでもあります」

これは平成五年、網走を去る年の、未だ漂白の思いやまぬ年頭の挨拶である。

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