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最高最悪なお金の使い方

今日ここに、誰にも話したことのない私の罪を告白する。

あれは小学校に上がって間もない頃だったと思う。
私の実家は田舎の国道沿いに建っていて、当時、道を渡った向こう側には一軒のコンビニがあった。コンビニの他には民家や市営アパート、昔ながらの酒屋などが道路に沿って並んでいた。食料や日用品を買えるスーパーなどは徒歩圏内にはなく、夕飯の買い物をするには車で15分程かけて地元のショッピングモールへ行く必要があった。

幼い頃の私は、たまに母にお使いを頼まれてそのコンビニへ行くことがあった。夕飯の支度途中に足りないと発覚した調味料などを、よく買いに行かされたのだ。母はいつも、100円ショップで売っているようなビニール製の小さいポーチに総額500円くらいの小銭を入れて、私を送り出した。

お使いといっても道のりは短い。家を出てすぐの横断歩道を渡り、あとは傾斜の緩やかな坂道を子供の足で5分程上っていけば辿り着ける。この5分間の道のりで、私は毎回ある悪戯をしていた。歩道の傍には排水溝があった。金属製の格子が蓋として上にはまっている、よくあるタイプの排水溝だ。蓋は簡単に外れなさそうで、家の鍵や携帯電話などを落とすと厄介である。私はここに、意図的に小銭を落としていた。何故かはわからないが、小銭が排水溝の暗闇に吸い込まれて、一瞬の後にぼちゃんと音を立てるのがたまらなく面白かった。

当時、小銭に価値があることはもう理解していて、どの硬貨が何円に相当するかもわかっていた。「これ1枚でアイスが一本買える…」と思いながら、それを二度と手の届かないところにやってしまうことに、暗い悦びがあった。今思えば、間違いなくあれは人生で初めて得た「背徳感」であった。

もちろん、この悪事を親に告白したことは無い。小銭を捨てすぎておつかいが出来なくなってしまってはいけないので、買うように言われた商品の値段をあらかじめ想定しておき、不足とならないように計算しながら実行する必要があった。今振り返ってみると、買い物のレシートはポーチに入れておつりとともに母へ返却するシステムだったので、母は我が子が小銭をちょろまかしていることなどお見通しだったかも知れない。ただそれを自分の懐ではなく、道端に捨ててきたとは思っていないだろう。

今、わたしは大人といえる年齢で、自分でお金を稼ぐようになり、少額の小銭を手にするだけでも大変な労力が必要であることを知っている。倫理観や羞恥心もあるので、あの頃のように小銭を排水溝へ捨てても、もはや楽しくはないだろう。ただあの時の悪戯が、人生において強烈な印象を今も放っているし、私の人格を形成する一部となっていることは間違いない。

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